公平とは何か

 先日紹介した鈴木さんの本はとても良い本なので、今日も引き続き宣伝に励みます。
 『だまされないための〜』が教えてくれる当たり前の、しかし意外に見落とされがちな事実は、年金が本質的に保険だということです。実際、徴収されるときの名目は「年金保険料」です。

 これが意味することは、掛け金は基本的に掛け捨てが原則だということです(p.67)。民間の保険会社を見ればわかるとおり、生命保険がもらえるのは、死んだとき(医療保険なら病気になったとき)だけです。一部保険料が還ってくるタイプもありますが、それは貯蓄や投資と組み合わせたタイプのもので、基本は「生きていたらもらえない、死んだらもらえる」です。だからといって、最後まで無事生きていた人が損をしたことにはなりません。そうしたラッキーな人々も「リスクに備える」という安心を購入していたのだから。

 これと同じように、年金もまた、老後に十分な資産を残すことのできたラッキーな富裕層にあげるべきでないのです。長生きしながらも貧乏になってしまった不運な人だけが、年金を受け取る資格があります。富裕層から年金をカットすれば、そうした本当に必要な人々への給付額も増やせる。

 これと同じ主張を、マッツァリーノも『日本列島プチ改造論』でしています。

 福祉ってのは、結果に応じて救済される仕組みです。ですから年金を福祉と考えるなら、救済する対象は、ちゃんと働いて年金保険料を納めてきたのに、勝ち組みになれずに長生きしてしまった老人だけにかぎるべきなんです。自分の資産で食っていける勝ち組み老人にまで年金を支給すれば、資金が足りなくなるのは当然です。
 健康保険は、もしも一生健康だったら払い損です。なのに文句を言うひとはいませんよね。年金だって同じです。一生年金のお世話にならずに自立した金持ちのまま死ねたら、ハッピーと思わなくちゃ。(p.89)

 この原理は、先週話した失業保険でも同じです。「みんな一律同額給付」は、見かけ上公平に見えて、実はその逆なのです。累進課税制度が、徴収税額が一律同額でないにもかかわらず公平性を担保する仕組みなのと同じです。マクロな水準で「公平(fair)」という概念を実現するには、安易に感覚に頼ってはだめです。論理だけがマクロな制度を正常に機能させられる。

 年金にはぜひとも累進制を導入していただきたい。