太陽と帰納と我らが世代

 昨日は褒めた内田さんですが、今日は批判を一つ。

 いま25〜35歳に該当する世代は、卒業が就職氷河期にバッティングしたため、あまりいい仕事にありつけず(あるいは全くありつけず)、辛い立場に置かれています。無能な人も辛いけど、有能な人も、なまじ処理能力が高いばかりに困難な仕事が集中してパンクする(しかも不況なので報酬は少ない)。上も下も崖っぷちなこの世代に付いた名前が「ロスト・ジェネレーション」。この世代の真っ只中に位置する私としても、同世代はみんな本当に大変だと感じます。

 だからこの世代には、努力せず美味しい思いをして、そのツケを下に回した先行世代への反感が育つ。「俺たちが不幸なのは、『奴ら』が不当に俺たちから奪っているからだ。俺たちは『奴ら』から正当な取り分を奪い返さねばならない。同志よ、共に闘わん!」

 内田さんは、この思考法を「奪還論」と呼んで批判します。その論拠の一つが次のようなものです。

《大学を卒業してもろくな就職口がないというような時代は昭和に入ってからも何度もあったし、その責任を年長世代におしつけても、それで何か「よいこと」が起こるということはなかった。》

 結論の当否はおいて、この推論はまずい。昨日まで毎日太陽が昇ったからといって、それは明日も太陽が昇ることを保証しない。同様に、奪還論が今まで不毛な結果に終わったからといって、今度も同じように不毛な結果になるとは限らない。なるかもしれないけど、その根拠に帰納を使ってはならない。何百年も昔、哲学者ヒュームが釘を刺して以来、「御法度」とされた論法です。

 内田さんの性悪なところは、ただのうっかりじゃなく、本人もそのことを重々承知している点です。哲学者なのだから知らないはずがない。その証拠に『私家版・ユダヤ文化論』では、マルクス帰納の誤謬を正しく批判している(p.110)。でもご自分も多くの局面で、少数のサンプルから一般法則を導く誘惑に勝てない。

 私は、奪還論自体も悪いとは思いません。怒りは力です。それに、内田さんだって若い頃は年輩の頭の古い仏文学者に反感を募らせていたという。自分はちゃっかりやっておいて、いざ歳をとったら今の若者には我慢しろ、というのは筋が通らない。むしろ「どんとこいや」ぐらい鷹揚に構えてほしいものです。