現代の聖人

 喜多さんの手のひらに刻まれている傷はやはり聖痕なのだろうか。だとすると、キリスト(またはセイント)に擬されているということになる。確かに、彼のポジションなら、自らの死によって周囲の人間の罪を帳消しにするという筋書きもあるかもしれない。あんまり本人に宗教家みたいな「衆生を救おう」という強い動機はなくて、むしろ内面的には空っぽの人畜無害な人だけど、そういう人間が聖人のモデルにされているのが日本らしい、のかな。

 ともあれ、もしキリストの役割が与えられているなら、やはり喜多さんには死が待っている。それも、本人が生きたいと強く願ったその瞬間に理不尽に命を奪われるような仕方で(Eloi Eloi Lama Sabachthani)。原作の『自由死刑』は読んだことがありませんが、ドラマの最後はどうなるのかなー。地味だけどけっこう今期のドラマの中では好きです。しかし、なんか今期は変なのとか暗いドラマが多いですね(「あをによし」はどこをどう評価していいのか未だに分からない。「佐々木夫妻」は秀作)。見る側としては飽きなくていいシーズンだ。