持続可能な援助

 『情熱大陸』は毎週なかなかクオリティが高い。本日放送の、バングラデシュの貧困にビジネスを根付かせるという方向から挑む山口さんの話もいい視点から撮られていた。

 番組中で現地スタッフの人が「貧困国への援助というと、食料やお金を送ることだと思われがちだけど、それは結局一時しのぎにすぎない。援助がこなくなればまた元の木阿弥だ。むしろ、援助に依存する体質を作る問題点がある。私たちには持続可能な仕事が必要なのだ。それが人々の生活を安定させ、そして生きる誇りも与えてくれる」というごく真っ当な意見を述べていました。まっとうすぎて、「そんなの当たり前のことじゃないの?」と思う人も多いだろうけど、どうも援助の世界ではこの「自助努力を促す」という発想が最近までなかった、ということを、開発援助コンサルを本業とされる山形さんも報告している(「援助のやりかた:やる気はどうすりゃ出るのか?」)。

 そう、人には仕事(work)がいる。過酷で奴隷的な単純労働(labor)ではなく、自らの能力と誇りを注ぎ込むに足るような仕事が。それがあるなら、人は他人から教えられなくても自ら人生に意味を見出していくものです。

 でもここで問題。果たして私たちの全員が全員、そういう誇りとするに値する仕事にめぐり合えるものでしょうか? どうしたって見返りの少ない単純労働はなくしようがないのではないか? 特にこれといったインフラも産業もない途上国は、先進国との力関係で貧乏くじを引かされる可能性は高い。今日の山口さんが「バングラデシュの材料でバングラデシュで作る」ことに拘るのも、そこの懸念があるからでしょう。

 これに対する今の私の答えは、「多分、全員が全員、人生を賭けるに値する仕事はできない」という、悲観的だけどこれもまあ常識的なものです。できるならみんなハッピーになれる世界が来ればいいと思うけど、私はそこまでモリスみたいに突っ切った夢想家にはなれない。そうなると後は、たとえ単純労働でもいいから意味を付与できるように、働く人間の側のマインドセットを切り替える、という選択肢しかない。この選択肢は、いまの時代に聞くと少し変な印象があるけど、きっとそんなに非現実的なものではないと思うのです。あまり賛成してくれる人がいないけど。