長崎は今日も晴れだった

 タイトルのセンスが古いのはあまり気にしないように。
 GWの前半を利用して、4月25-27日に、母方の実家のある長崎は島原に帰ってきました。長崎の実家へ行くのは10年ぶりぐらい。最近、祖父母も体が弱っている聞いていたのですが、会ってみると予想外に元気でまずはひと安心。

 「もう九州はみんな半袖だろう」ぐらいに高をくくっていたら、東京と同じぐらいの気温でびっくり。私たちが到着した日から急に冷え込んだとのことだったけど、それでもまあ肌寒いというほどではなく、滞在中は天気もよくて快適に過ごせました。

 よく都市と田舎を比較して「時間の流れ方が違うようだ」という言い方がありますが、あれは比喩でもなんでもなく、両者では本当に時間の流れる速度が違います。いや、皆さんの言いたいことは分かります。でもそうとしか思えない。私は今回の長崎行きでこの仮説の正しさを確信しました。実証する手段がないのが惜しまれます。

 西日本は東日本に比べて全体にのんびりした傾向がありますが、九州は特に気候温暖で海にも山にも囲まれているから、海産物・農産物に本当に恵まれている。近所の農協や漁業組合の直売所に出かけると、玉ねぎが5個で100円とか、昆布やあおさ(この海草の味噌汁を、私は小学生のときこの実家で初めて食べて大好物になって、それ以来わかめの味噌汁が飲めなくなった)もてんこもりに詰め込んで100円とか200円。自炊すれば一週間1000円で暮らせそうな勢い。これであくせく働く気を起こす方がどうかしてる。みんな人間的にもおおらかでのんびりした人が多いのも、むべなるかな。

 とはいえ、久々に再会した従兄弟に話を聞いてみると、地方で働くことにも、それなりの苦労がある模様。「安定した仕事は、このへんじゃ役場か農協ぐらいかなかもんね」という彼自身も、苦労をかさねてきたようで、若さに似合わぬ老成した雰囲気をまとった青年に成長していました。こういうとき、私たち都会の人間はすぐに「じゃあ農業や漁業をすれば?」と考えがちですが、自営の農民・漁民というのはかなり厳しい仕事なのです。

 私の祖父母も長く農業に従事してきた人ですが、こういう一次産業の場合、まず年をとっても若いころと同じぐらいの労働をしなければならないという体力面の難しさがある。サラリーマンのように、年をとったら管理職にあがって現場から離れる、という選択肢は(よほど大規模な農家でない限り)ありえない。体調が悪い場合にも、「有休」なんて恵まれた制度はない。自分が休めばそれだけ作物の出来栄えに影響が出る。だからおいそれと病気や怪我もできない。農家の人々が規則正しく健康的な生活をしているのは、仕事が規則的という理由のほかに、会社勤めの人間よりも健康に気をつけないとやっていけない、という現実的な理由も大きいのです。その意味で、意外に一次産業というのは、究極の自己責任が要求される職業です。自己管理ができない人間は、農業に向かない。

 「東京で働くってどんな感じね?」と反対に聞いてくる従兄弟に対して、「東京は東京で大変よ」と月並みな答えを返しつつ、みんなそれぞれに問題を抱えながら何とかふんばっているのだなあと、夜更けに出しっぱなしのコタツを囲んで思う休日でした。

 しばらくは、お土産のあおさで美味しい味噌汁が食べられそうです。東京で買うものとは香りが全然違うんだよね。

 長崎とそこに住む人々が、できるだけ長く穏やかに暮らせますように。