犯罪者の機会損失を増やすには:谷岡一郎『こうすれば犯罪は防げる 環境犯罪学入門』

 さて突然ですが、犯罪とセキュリティについての○×問題です。次の文が合っているか間違っているか、できれば理由とセットで考えてみてください。

  1. 同じ学校にバスと電車で通学する高校生では、バスで通学する子供の方が万引きに走りやすい。
  2. マンションやアパートで空き巣に入られやすい階は、一階である。
  3. コンビニでは、レジが奥にあるのと入口にあるのとでは、入口にある方が強盗に遭いにくい。
  4. 犯罪は夏に多く冬に少ない。
  5. 家のドアの鍵を二重にすると空き巣の防止効果がある。

 前提条件が少なすぎてこれだけじゃ考えられないよー、という声もおありでしょうが、まあ大体の一般的なフィーリングでいいです。特殊な個別ケースじゃなくて、あくまで多くのケースを集めたときにどんな傾向になるか、という視点で。

 正解は、それぞれ次のとおり:
 1.× 2.× 3.○ 4.○ 5.不明

 これらの結論は、ちゃんと統計的な裏づけのある結果です。5番が不明なのは、このことを調べた調査がないため(多分○だと思いますけどね)。

 理由の方を解説すると、1番は、電車の駅の内外には色々な店舗が立ち並び、高校生の欲しい物が沢山ある。そして、「犯罪総数は与えられたチャンスに比例して増える」(p.52)ものであるため、高校生も万引きしやすくなる。2番は、一階はむしろ住人も危険であることを自覚しているのでかえって戸締りを厳重にするし、管理人とはちあわせする危険もある。むしろ泥棒から見たら二階の方が狙いやすい(こちらも実証する統計調査がある)。

 とまあ、こんな感じで、諸々の物理的・地理的条件と、犯罪の起こりやすさの相関関係を統計的に調べ、そこから逆に、犯罪の起こりにくい環境作りを提言しよう、というのが本書の紹介する環境犯罪学です(3番と4番の理由は皆さん本書を読んで答え合わせしてね)。

 環境犯罪学から得られる知見は、特に都市政策において非常に有益で、店舗内には、実際に店員が見ている必要はなく、ミラーを付けておくだけでいい(p.47)とか、幼女誘拐を抑止するにはスモーク・ガラスの車を禁止すること(p.51)といった、非常にローコスト・ハイリターンな抑止策が多く提言され、アメリカではかなりの効果をあげています(ジュリアーニ元市長のニューヨークで実践された「割れ窓理論」もその一つ)。

 この科学の基本的な考え方は、経済学の「機会損失」と同じです。機会損失とは、文字通りチャンスを逸することによる損失です。例えば、ある店で1000円で買った商品が、隣の店で500円で売っていたら、500円の損失です。あるいは、いま勤めている会社から別の会社に転職すれば給料があがるのに、「面倒だから」と転職しなかった場合も、機会損失が生じます。「損失」と言いながら財布から現金が出ていくわけではないため、「損をした」という実感を持ちにくく、それゆえ損失に気付きにくいという、奇妙な損失です(これに気付くためには、自分が実際には選ばなかった幻の選択肢をシミュレートする想像力が必要とされる)。シナリオ分岐型のアドベンチャー・ゲームで遊んだ経験のある人は、ハッピー・エンドとバッド・エンドの間にある幸福感の差だと思ってもいい。

 犯罪の場合も、話は変わりません。ある泥棒が豪邸に盗みに入ろうと画策している。うまくやりおおせれば1億円の儲けは堅い! ・・・・・・しかし、人通りは多いし犬はいるし監視カメラはあるし、なんかパクられそうな雰囲気。仕方ない、別の標的を探そう ―― 、これでこの泥棒は機会損失を計上したことになります。

 通常、経済学は「なるべく機会損失を減らして、最善のルートを選ぶ」ための方法を考えます。しかし環境犯罪学は「なるべく泥棒に機会損失を増やしてやろう、ひゃひゃひゃ」という、経済学と裏返しのイジワルな目的を持っているのです(だから犯罪学者って、他人の邪魔をすることに喜びを見出す、ちょっとヒネたオジサンというイメージがある。私の偏見だけど)。

 さて、ここまでで、この学問が大変面白いものであることはお分かりいただけたでしょう。本書にも、誰もが明日から防犯に生かせる知見がいっぱいです。特に、近日中にマンションや住宅の購入をお考えの方は今すぐ読もう。立地や防犯設備についての有益な情報が得られます。案外、泥棒の皆さんが読んでも、敵の手の内が知れて有用かもしれない。

 一方で、その有効性について疑問に思う点も、なくはない。一つは、果たして個々の抑止対策を積み重ねることによって、社会全体の犯罪の総量は減るのか、ということ。昔、確か東京の荻窪だったかな。空き巣の被害に悩んだ町会の人々が自警団を組んで町の見回りを実施した結果、町内の空き巣件数は確かに減少したそうです。ここまでならめでたしめでたし、なのだけど、実は、隣町の阿佐ヶ谷などの空き巣件数が増加していたのです。泥棒とて人の子、お仕事できなくては食うに困ります。一つの漁場がダメになったら別の漁場を開拓するほかありません。

 それなら今度は阿佐ヶ谷も警備を強化 → 高円寺に「漁場」が移る → 高円寺も警備を強化 → 中野に「漁場」が移る → 中野も警備を強化・・・

 ということを繰り返すうちに、本当に日本全体の犯罪総数が減るかもしれないし、そういうことに余力を割けない弱いコミュニティが貧乏クジ引いて空き巣パラダイスと化すのかもしれない。これはやってみないと分かりません。著者もこの問題点を認識していて、「全体を考えない一部地域のみの防犯は、犯罪を貧しい人々に輸出している可能性がある」(p.106)と警鐘を鳴らしています。でも、警鐘にとどまるのがまだ弱いところ。

 もう一つの疑問は、この方法論が全てのタイプの犯罪者に有効なのかどうか、よく分からないこと。環境犯罪学者が想定する犯罪者は、「粗暴犯よりむしろ財産犯」(p.34)だとされています。要するに、万引きとか車上荒らしとか強盗とか、損得勘定で動く合理的で平均的なドロボーを想定している(この「合理的人間観」の点でも経済学に似ている)。だからこそ、そういう連中の心理を合理的にトレースできて、防犯対策も講じられる。抑止の方法として厳罰化が議論されるのも、犯人が損得勘定で動くと想定されているからです。

 反面、生々しい記憶として残る秋葉原通り魔事件のような粗暴犯に対しては、おそらくこうした対策はあまり意味をなさない。加藤容疑者は、見通しのいい大通りで大人数の見ている中、犯行に及びました。こういうヤケクソ犯行や精神異常者による犯行は、損得勘定で動かないために、抑止が働かない。このての「不合理犯罪」はこれからの日本で増えていく可能性は高いので、これに対する有効な対策を打ち出せるかどうか、環境犯罪学が試されることになるでしょう。

 私が素人考えで思うに、地理的・物理的条件をマイニングすることで、粗暴犯が犯行に及びにくい条件を割り出すことは可能かもしれない。でもそのためには、ある程度のデータが集まるまで待たないといけないし、それはつまるところ、秋葉原ような事件を今後しばらくの間、静観するということです。そんな悠長なことをしていられるか?

 著者をはじめとする犯罪学者がこうした難問にどう立ち向かうか、注目したい。