憧れと恨みと:竹内洋『丸山眞男の時代』


 竹内洋丸山眞男の時代』を読了。非常に面白かった。私が学生の頃は、ちょうど丸山眞男の没後すぐということもあって追悼特集が多く組まれ、丸山は ―― 時代が時代なのでさすがに素直な読み方はされなかったけど ―― けっこう学生にも読まれていました。今はどうなのかな?

 本書は、時代的にもテーマ的にも『大学という病』の続編です。前著では明治〜大正時代の東京帝国大学経済学部のえげつない暗闘が活写されましたが、今回は時代を昭和に移して法学部が舞台です。前著にも登場した狂信的国粋主義者蓑田胸喜が影の主役です。「あとがき」で著者は「最初の依頼では蓑田を主役に据えた本だった」と言っているけど、いや主役にしなくて正解でしょう。こいつを表に出したら丸山はじめ他の登場人物が思いっきり霞んでしまう。前著でも河合栄治郎滝川幸辰を大学から追放したりして大暴れだったけど、本書でも遺憾なく狂人ぶりを発揮しています。

 丸山は世代的に少し若かったため、蓑田台風の「直撃」を受けませんでした。それにもかかわらず、その思想には蓑田のトラウマが影を落としている、という仮説を検証するのが本書の狙いです。私が読んだ限り、この意見には相当な説得力があります。丸山は戦後すぐに、「一度左よりになって、その反動でナチみたいなのが出てくるのでは」という危惧を繰り返し述べているし、アメリカのマッカーシー蓑田胸喜にだぶらせています(第2章「トラウマと反・反共主義」)。従って、彼の戦略は、こういう「ゆり戻し」を何としても防ぐことに主眼が置かれることになる。大衆啓蒙によって、プロの政治活動家プロ市民)ではなく、一般市民によるパートタイムの政治参加を実現する「在家仏教主義」の名で知られる方法論がそれです。

 本書の4章以降ではさらに、この路線によってアカデミズムとジャーナリズムの双方で主導権を握ることに成功した丸山が、自らが啓蒙したはずの学生たちから批判され、凋落していくさまが分析されます。私が一番興味をひかれたのはここからでした。というのも、私は昔から「なぜ安保闘争は学園闘争だったのだろう?」という疑問が解けずにいたからです。まあ、学生は暇のあるインテリ=高等遊民だったので、政治活動にも参加しやすかった、というのは分かるのですが、でもそれにしたってマルクス主義ってもともと労働者の思想でしょ。それなのにあの闘争で労働者の影って薄いんですよね。明治や大正の社会主義運動って、小作争議みたいに生産者が主体のものが多いのに、私たちが見る昭和の「階級闘争」の記録映像では、なぜかいつも学生がゲバ棒を振り回していたり山荘に立てこもったりしている。それがずっと不思議でした。

 本書は、この私の積年の疑問に答えてくれる解釈を打ち出します。

 まず、当時の学生は、別に政治意識が高かったから政治活動に参加したわけではありません。大多数は今と同じノンポリだった。彼らはただの「暇つぶし」や「お祭り」としてデモを楽しんでいた。当初、安保問題については国民のほとんどが無関心だったのに、テレビで一部過激派の派手な街頭運動が放映されると、退屈していた多くの学生たちも気分が盛り上がって祭りに参加する、という構造があったのです。デモはコンサートやスポーツ観戦と同じ「イベント」だったのです。

人々を行動に駆り立てるのは、活字的ではなく口述的、音声的、映像的なものである(p.143)。

映画館や後楽園のナイターに行く人とデモに参加する人は別人ではない。丸山たちに代表される在家仏教主義のすすめが現実化したのである(p.153)。

理論や思想が大衆的にひろがるというのは、大衆風俗としてである(p.238)。

 ここまでは、丸山と学生たちはほぼ歩調を揃えて歩んでいました。しかし、裏では両者の関係を破綻させる事態が進行している。それは、学生数の急激な増加です。1963年には15.5%だった大学進学率は、翌64年には19.7%に急増し、71年には27.2%に跳ね上がります。大学の大衆化、と呼ばれる現象ですね。すると何が起きるかといえば、お分かりでしょう。それまでは高級ブランドだった大卒の株価が、暴落をはじめるのです。「 [学生たちの] 卒業後の進路はそれまでの幹部社員や知的専門職ではなく、ただのサラリーマン予備軍になりはじめた」(p.246)のです。

 学生の数が少なく、大学生が文字通りエリートだった時代、教授たちは、学生をいずれ自分たちのアカデミズム共同体に参入してくる将来の仲間として遇し、また学生たちも、いずれ自分を美味しいポジションに引き上げてくれる教授たちを尊敬し、従順に従っていた。理想的な父と子の関係です。でも、学生の側が、自分に将来の見込みがないのだと気付いたとき、両者の蜜月関係は終わります。代わりに芽生えるのは、自らは安穏としたポジションに居座りつつ調子のいいお題目を唱えるだけで自分たちを救ってくれない父への呪詛です。

かれらの先にあるただのサラリーマンという人生航路からみると、大学文化や知識人文化など無用な文化である。大学文化や知識人文化はもはや身分文化ではない。かれらはこういいたかったのではないか。「おれたちは学歴エリート文化など無縁のただのサラリーマンになるのに、大学教授たちよ、おまえらは講壇でのうのうと特権的な言説をたれている」、と。かれらは、理念としての知識人や学問を徹底して問うたが、あの執拗ともいえる徹底ぶりは、大学生がただの人やただのサラリーマン予備軍になってしまったことへの不安とルサンチマン(怨恨)抜きには理解しがたい。・・・・・・だから運動の極点は、いつも大学教授を団交に引っ張り込み、無理難題を迫り、醜態を晒させることにあった。(p.248)

 かくして、学園闘争は、何よりもまず世代間闘争として戦われることになりました。ぶっちゃけもう安保なんてどうでもいい。ただ俺たちは、あの身勝手で奇麗事の好きな教授に「復讐」してやりたかったんだ ――。

 当時の学生たちについて、闘争が終わったらさっさとサラリーマンになった変節ぶりを批判する声がありますが、最初から主義主張に興味が無くてただ祭りに参加しただけだったなら、責めるのはおかど違いです。それに、実際のところ、サラリーマンになる以外に、選択肢なんてあったのか。

 丸山はじめ大学知識人を苛烈に批判し、「大衆の原像」(=あるがままの自分)を肯定してくれる下町知識人の吉本隆明が、丸山に代わって学生のニューヒーローになっていく過程も、この「恨み」という変数によってすっきり理解できます。もちろん、丸山教授にとっては逆恨みにしか見えなかっただろうし、事実としてはそうだったのだけど。

 そんなわけで、この本は私にはとっても面白い本でした。あんまり一般的な関心をひく本ではないけど、ちょっと紹介したくなった。

 私も学生時代に丸山を読んで、その前向きな啓蒙主義と華麗なロジックには共感するところも大きかったのだけど、実践の難しさも改めて思い知らされた、という感じです。