やっぱり欧米か:渡辺利夫『新脱亜論』


 リーマン・ブラザーズの破綻によるアメリカ経済の混乱は、まだ収まる気配を見せません。これがアメリカにとって致命傷になるとは思えないけど、でも9.11以来の大打撃であることは間違いない。傷痕は長期にわたって残るかもしれない。

 アメリカもそろそろ終わりが近いか――という考えが脳裏をよぎった人も、少なくないでしょう。2000年代前半ぐらいから、そんな「予言」もチラホラ聞かれるようになりました。確かに、永遠に栄華を極め続ける国家など論理的に存在し得ないのだから、アメリカの終わりも、いつか必ず来る。一方、その「アメリカ没落論」に反比例する形で、中国が目覚しい進展を遂げたのも、ここ10年のことでした。先のオリンピックで弾みをつけて、ますます勢いを増すことは疑いを入れません。

 しかし本当に注目すべきは、そういう国外情勢の変化を受けて、日本国内における国際関係についての考え方にも大きな変化が起きたことです。これまでの日本の外交というのは、ある意味で簡単なものでした。とにかく「永遠のスーパーパワー」が味方についているのだから、かの国のタイコもちやってればよかったのです。しかも槍もちはしなくていい、という義務免除つきなので、戦争とか内乱とか、海の向こうの面倒なゴタゴタには知らんぷりしてせっせと自国の経済発展だけに専念できました。それどころか、海外で戦争が起こるたびに日本はその特需に沸いた。他人の不幸でちゃっかり金儲けまでしてきたのです。倫理的には誉められないけど、少なくとも自国の安全保障という課題は、一応クリアしていた。日本人の多くも、アメリカに文句は色々ありながらも、「つきあえないほど悪い奴でもない」と思って我慢してきた。

 ところが、最近になって、日本内での外交方針に関するこの考え方が大きく変わってきました。「アメリカもそろそろヤバイっていうし、中国はブイブイ言わしてるし・・・これからの時代はやっぱりアジアかしら」――そう、俗に「東アジア共同体論」と呼ばれる考え方です。この究極的な形は、アメリカとの同盟を破棄し(当然、在日米軍には引き払ってもらう)、中国・韓国・(政変後の)北朝鮮と軍事・経済の両面にわたる同盟関係を結んで、EUやロシアやアメリカに対抗していく、ということころへ行き着きます。

 そりゃま、中国や韓国は距離も近いし、同じアジア人だし、協力関係を築けるならその方がいいに決まってる。というわけで、この主張は内田樹のようなアメリカ嫌いのナショナリストに非常に受けがよい。さて、果たしてこれは実現可能な未来図なのでしょうか?

 思えば、かつて明治時代においても、日本は今と同じような二者択一を迫られました。欧米露といった大国の圧力に対し、そうした国々と同盟して大国の仲間入りを果たす「脱亜入欧」か、それともまだ力不足の中国・朝鮮を助けて共にアジアを興す「東亜共同体」か。周知のように、日本がとったのは前者です。日英同盟を結び、日清戦争勝利し、韓国を併合した。このとき、日本はかなり成功しました。最後には太平洋戦争に突っ走って大失態をやらかしたけど、それまでの数十年、なんとか独立を保つことに成功したのです。

 その100年前の状況と現在は、驚くほど酷似している。それならば、当時、「脱亜入欧」を唱えた福沢諭吉、睦宗光、小村寿太郎といった先達の思想と行動に学ぶことも有効ではないか。本書は、この立場から、「帝国主義者」の名の下に断罪されがちな、彼らリアリスト達の再評価を試み、現代にその知見を甦らせようとします。

 あまり一般に知られていないことですが、「脱亜入欧」を目指した明治人たちも、一貫して身も蓋もない帝国主義的な考え方をしていたのではありません。最初は、中国朝鮮と同盟する東アジア共同体の夢に賭けていました。例えば、福沢諭吉大隈重信は、朝鮮で近代化を目指す改革官僚の金玉均朴泳孝を熱心に支援しました。福沢は朝鮮からの留学生も慶応義塾に受け入れ、朝鮮について「30年前の日本なり」と同情を寄せています(勿論、同情だけで助けたわけではなく、朝鮮が近代化すれば日本にとっても心強い同盟者になってくれるという「下心」が根底にあった)。

 後にも、宮崎滔天国粋主義者の印象が強い北一輝頭山満辛亥革命を支えたりしている(これに応えて孫文大アジア主義講演日中友好を訴えている)。当たり前のことですが、彼らだって、「中国と朝鮮が近代化して、日本とともに欧米露に対抗してくれれば一番いい」と考えていたのです。でも、彼らの望みは裏切られます。金玉均たちのクーデター(甲申事変, 1884)は、一時成功するけどすぐに反動勢力に引っ繰り返され(この時も福沢は命からがら亡命してきた金たちを自邸に匿っている)、辛亥革命もすぐに骨抜きにされて、日本の目論見は外れます。

 東亜共同体の夢破れた福沢が怒りをこめて書いたのが、有名な『脱亜論』(1885)です。「悪友を親しむ者は共に悪名を免かる可らず。我は心に於て亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり」―― もうお前らとはつきあっていられない、という中国と朝鮮に対する絶交状。列強がアジアを食い物にせんとしているこのときに、そのことを認識せず自国内に閉じこもり徒に政争を繰り返し国力を疲弊するばかりとは! 清と共同で朝鮮を近代化する案に一縷の望みを託していた陸奥宗光も、これを断念し、清との戦争を決意することになります。

 こうして、一個の帝国主義国家として歩むことで腹を括った明治日本には、もう一つ大きな選択を迫られる局面がありました。それは、列強の中でどこと組むか、ということです。「スラブかアングロ・サクソンか」という、現代まで尾を引く日本の外交の基本方針を決める重大なタイミングです。

 中国と朝鮮を挟んで直接の利害対立関係にあるのは、最強の陸軍大国にして領土拡張欲旺盛なロシア。もう一方は、、距離的に遠く、利害の対立もそれほど直接的でないイギリスやアメリカといった海軍国家。前者の日露協商を主張していたのが、伊東博文や井上馨、後者の日英同盟を主張していたのが、桂太郎小村寿太郎でした。私たちは、後者が勝利したことを知っていますが、でもこれって表面的にはちょっと不思議な選択です。なぜ日本は関係の濃いロシアを直接の交渉相手に選ばなかったのでしょう?

 ここは、三国干渉以来、世間の反露感情が沸騰していたとか、色々な要因が絡んでいて事態が錯綜しているのですが、一ついえるのは、「スラブよりもアングロ・サクソンの方が信用できる」と小村たちが判断したことです。彼らは、ロシアの残忍さと狡猾さを熟知していたし、条約なんかも都合が悪くなれば平気で破棄してためらわないことを知っていた(事実、その後、日本はロシアと何度か条約などを結びましたが、ロシアが一方的に破棄することが多かった)。一方、英米は、同じ帝国主義国家とはいえ、一応「契約」を尊重するというルールを持っていた。ひとことで言うなら、近代国家だった、ということです(私は21世紀の今でもロシアを近代国家と呼ぶのには抵抗がある)。小村たちの期待は叶えられ、イギリスは日英同盟に従って、日露戦争において日本を効果的にバックアップしてくれました。

 太平洋戦争の一時期を除けば、日本の外交は明治から現在にいたるまで欧米との関係を基調とし、アジアとロシアを軽視してきました。これは要するに、日本から見てまだしも「話が通じる」相手は、結局イギリスやアメリカだった、ということです。彼らは契約の尊重と機会均等(フェアネス)というルールを守る相手とならば、民族の壁を越えて話し合いに応じた。そしてありがたいことに、この相手はどちらも19世紀と20世紀を代表する強国でした。

 さて、以上の歴史的事実を踏まえて現在の国際情勢を見返してみると、どうでしょう。果たしてアメリカとの関係を解消して、中国や韓国(はたまたロシア)と同盟を結ぶというアイデアは現実的でしょうか。私は、難しいと思います。アメリカの後ろ盾をなくした日本なんて、中国も韓国も相手にするはずがない。今でも竹島尖閣諸島の問題で分かるように領土的野心を示す両国が、ますますかさにかかってくるのは目に見えている。北朝鮮との交渉だって、アメリカの力がある今でも難航しているのに、それがなくなったらどうなるかは自明です。欧米と違ってルール(法の支配)が通用しない相手である以上、対抗するには、日本が再軍備して独力でも十分な威圧力を持つ必要がある。特に核保有は外せません。でもそんなの一朝一夕にはできないし、9条の改正は多くの人が生理的に嫌がります。

 だったら当分のあいだ、日本はアメリカとの同盟に頼らざるをえないし、だからこそ、アメリカにそう簡単に没落してもらっては困る。私たちはメリケン親分と一蓮托生なのです。その点で、小泉元首相の外交政策は、正解の一つだった。しかも日本は海洋国家として、軍備を最小化し、国土拡張を図ることなく国家としてのプレゼンスを保つことのできる幾つもの条件を満たしている。本書が提案するのも、この路線です(第12章「日米海洋国家同盟を守る」)。

 リーマンが破綻して喜んでいる嫌米の方々にも、そこのところをご一考いただきたい。本当に、日本はアメリカ抜きで中国や北朝鮮と渡り合っていけると思いますか?