大麻がそんなに悪いか。それなら・・・

 『刑事コロンボ』を見ていたら、コロンボ以下登場人物が平気で飲酒運転をしているのを見て驚いた。昔のアメリカっておおらかだったのね。あるいは今でもそうなのだろうか。日本では飲酒運転の罰則は厳しくなる一方なので、世界的にもそうなのだろうと思っていたけど、勘違いなのかもしれない。これ以外にも、警察官が現場検証で手袋なしでベタベタ証拠物品をさわりまくったりして、このドラマはおおらか感満載。でも推理ドラマとしてはどの回も大人の観賞にたえるクオリティの高さで、お薦めです。つくづくコロンボ古畑任三郎に与えた影響の大きさが分かる。警官があまりにスパスパ煙草吸うのも、今となっては逆に新鮮な絵柄だ。

 えーちょっと話がそれました。飲酒運転のことでした。私は飲酒運転を厳しく取り締まることは、人命尊重の観点から良いことだと思うのですが、取り締まりや法改正に人手とコストかける割には、見合う成果があがっているのかずっと疑問でした。それぐらいなら、いっそ自動車全般の使用に制限をかけた方がずっとコストパフォーマンスが良いのではないか、と思う。もちろん、輸送や救急・消防に警察など公共のために必須の部分は残しておく必要があるけど、広大無辺なアメリカみたいに自動車抜きでは暮らせない国ならともかく、この狭い日本で自動車がそんなに必須だとは思えない。私が東京を好きな理由の一つが、自動車がなくても困らないことです。地方だって、やりようはある。

 これは、私が個人的に自動車を嫌いなので、バイアスのかかった意見であることを承知の上で読んでほしいのですが、年間100万人が事故で死亡・負傷し、排気ガスで環境を汚染し、製造のために希少資源を消費しているのだから、その社会に対する大きなコスト(社会的費用)は無視するべきではない。だって、要するに自動車を作ったり自動車に乗って得をする人々は、その分、他の人々に犠牲を強いる(コストを負担させている)ことによって、自分たちの欲望を満足させているのだから。自動車に税金がかけられていて、環境への負担度や公共への貢献度によって税率が変わるのも、こういう損益を調整するためです。

 でも、トヨタ・日産・ホンダといった名前を見て分かるとおり、二輪含むモーター産業は、日本経済の屋台骨を支えるエースだし、それは世界的にも同じことなので、この産業を衰退させるような社会的措置はなかなか取りにくい。自動車を飯の種にしている人も非常に多いので、こうした人々の職をなくすことで、社会的コストを発生させるのも事実です。またこういう自動車に対するネガティブ・キャンペーンは、メディアもやらない。なぜかといえば、自動車会社が大広告主だからです(テレビや新聞雑誌の広告に占める自動車関連企業の割合を見れば、すぐに分かる)。だから、本当はエコバッグなんかより「自動車に乗らず、自分の足で歩こう」キャンペーンでもした方が、絶対にCO2削減効果を上げるし、健康増進もつながって一石二鳥なはずなのに、そういう企画はどこの広告代理店からも出てこない。歩くか自転車に乗るかすれば、排出するCO2は呼気に含まれるものだけになるのに。

 従って、こういう腫れ物的なテーマについてあけすけに語ることができるのは、利害関係の薄い部外者たちということになります。特に、社会全体のバランスシートを気にする経済学者(宇沢弘文『自動車の社会的費用』小島寛之『確率的発想法』池田信夫「大麻で逮捕するならタバコを禁止せよ」)、ひねくれ者の文学者(小谷野敦『すばらしき愚民社会』)あたり。小谷野・池田の両名がタバコにまつわる欺瞞をも指弾するのは、これらが同じ構図をとっているからでしょう(余談ですが小谷野敦コロンボを好きと言っている。きっとタバコをスパスパ吸うのが羨ましいのだろう)。

 私は、自動車礼賛のモータリゼーション社会が絶対に悪い、とは思いません。自動車がないよりあった方が、社会全体で見てベネフィットがコストを上回ると、社会の成員の過半数が認めたなら、渋々ではあるけど「このくにはしあわせなくにです」と認めましょう。でも今は、その議論を行うことを避けている。そのことが腹立たしい。モーター産業陣営も、勝つ自信があるなら一度、憲法改正議論のように俎上にあげてみればいい。そこで勝てば、はっきりと自分たちの正しさが立証されて、これまでのような後ろめたさなくジャンジャン環境も汚染できるし事故も増やせる。それで批判を受けても「国民の審判によって支持された」と堂々と胸を張れる。決して悪い話ではない。

 大麻なんて、死者も出ない環境も汚染しない瑣末な問題は、暴力団関係の点を除けば社会的にどうだっていいので、自動車のことを話しましょうって。