年始ご挨拶

 明けましておめでとうございます。今年は多くの人にとって去年より厳しい一年になることが予想されますが、まあ人間はいつでも覚悟を決めてやっていくしかありません。ゆるゆる頑張っていきましょう。

 さて、年越しにかけて、久々に実家に帰ってきました。毎年恒例の家族麻雀に興じたりして今回もつつがなく帰省は終了(前半は満貫に振り込んでメタメタでしたが、後半で親ッパネをツモ上がりして無事挽回)。しかし私が今回の帰省で一番驚かされたのは、リーチ・ピンフタンヤオ・イーペーコーで満貫どまりだと思っていた手が実は無意識に三色も達成していてハネたときではなく、朝日新聞を読んだときでした。いつの間にこの新聞は、老人の小言みたいなどうしようもない記事で埋め尽くされてしまったのだろう? 私の記憶に残っている朝日新聞は、もっと格調高く落ち着いた紙面でした(それとも、私が世間ズレしてしまっただけなのだろうか)。

 私は、自分では一度も新聞を購読したことがなく、新聞を読む機会があるのは年末に帰省したときだけです(新入社員諸君は上司から新聞読めとか言われてるかもしれませんが、大丈夫ですよ、読まなくて。サラリーマンに全く不要だから)。そのため、普段なら新聞についてコメントする立場にはないのですが、今回はちょっとギョッとしました。「世界はこれからどんどん悪くなる。いいことなんか全然ないぞ」という悲観的な論調は、今のご時世考えたらしょうがないかもしれませんが、金融システムやネットなどの新しいテクノロジーへの嫌悪が先走りしすぎる。

 資産運用をしていた高齢者が今回の金融危機で大損こいた、という話を帰省中の短い期間で幾つも見かけましたが、気になったのは、「銀行員(または証券会社)に勧められるまま」金融商品を買っていたら損をした、という書き方が多いことです。まあ、当人は被害者意識をもつだろうし、記事としても銀行憎しのトーンは読者受けが良いのでしょう。

 でも、言ってはなんですが、金融商品の中身を知らないまま買う方が間違ってる。詐欺にかかったとか、年金みたいに自分の意志によらず運用されたなら別として、自発的に金融市場に参加したなら、結果は純粋に自己責任。リターンあるところにリスクあり、という常識もないまま金融システムに私怨をぶつけられてはかなわない。

 「でも、貧乏な老人から金を巻き上げるような例もある」という反論があるかもしれませんが、それは現実的にありえません。なぜなら、資産運用を考えるような高齢者というのは、1. 運用に回せるだけの資産を既に保有していて、 2. その資産をさらに増やしたいという欲がある、という二つの条件を満たす人々です。「運用に回せるだけの資産」というのは、10万とか100万とかのレベルじゃないですよ。少なくとも数百万、普通は1千万を超える額でないと、運用に回すメリットは少ない。

 新聞が高齢者向けのメディアになってしまった、という意見はあちこちで聞いていましたが、なるほど今回、私もそれを実感した次第です。 年始のインタビューで、佐々木俊尚氏もこの点を指摘しています。

新聞の側が、読者の年齢層を上げてしまっています。元々、新聞では「標準家庭」という言葉が以前は使われていて、これは40歳ぐらいで専業主婦の妻と子供二人のいるサラリーマン家庭をイメージしたものです。そういう人たち向けに新聞を作っていたわけですね。ところが、若い人が新聞を読まなくなって、90年代ごろから読者の高齢化に付き添うようにして、新聞の中身も老化してしまうようになった。
その結果、中心読者層が60-70歳代になっていて、知らない内に、書く側も、それに合わせてしまっている。

 去年は、朝日新聞が初めて赤字転落し、毎日、産経の二紙もそれに続いたことで、新聞業界全体の危機が報じられましたが、この紙面では無理もなかろう、と思います。悪いけど、既に若くはない私でも読みたいという気にならない。新聞の収益は、直接の購読料の他に、広告収入も大きいので、すぐに倒産ということはありませんが、その広告収入だって、部数が減少し続ければ減るに決まっています(いったいどんな企業が読まれないメディアに広告を打つか)。

 各新聞は、格差社会にも反対の論陣を頻繁に張っているようですが、これも、格差社会が自分たちにとって不利な状況だからだと、私は思います。なぜなら、格差社会とは、上の引用で佐々木氏も言うような中流の「標準家庭」が消滅した社会だから。既存の新聞にとっては、購読層を丸っと失うことになりかねない。ちょうど、中流幻想の消滅とともに、その幻想と共に生きた不二家のような「中の中」を顧客基盤としていた企業が苦境に陥ったように(私企業である新聞が真に公共の意見を代弁することは不可能なので、もし物好きに購読する場合は、その点だけでも忘れないでください)。

 今後、新聞が生き残るには、おそらく、どういう購読層をターゲットにするか、考えなければならないでしょう。私は、今のように高齢者だけをターゲットにするという選択肢も十分に有効だと思います。雑誌にはそういう「専門誌」というビジネスモデルが先例としてあります。『サライ』みたいに、高齢者向けの「専門紙」になることは、新聞にとっては、今の路線を強化すればいいのでかなりたやすい。業界紙や地方紙みたいに、最初から限定的な読者を対象にする新聞もあるし。それぞれの島宇宙に特化した島新聞だけが存在する未来は、ありえます。

 でもその場合、過去ほどの高収益や全国的な影響力は望めなくなるのも自明です。4大全国紙の社員の方々はプライドが許さないでしょうが、この流れにはなかなか抗し難いと思います。

 まあとにかく、あまりヒッカケばかり考えると手作りに支障をきたすので、やっぱり基本は大事だなと思った帰省でした。