サンソンの奇妙な冒険:安達正勝『死刑執行人サンソン』

 日本で死刑執行人と言えば、時代劇によく出てくる「首切り浅」こと山田浅右衛門が知られています。彼は江戸から明治に活動(というのもおかしいけど)した人物ですが、時代と場所を問わず、死刑制度あるところにまた処刑役人もあるわけで、現代の日本でも、死刑制度がある以上、それに携わる人々も、表だって姿を現さないだけで、ちゃんと存在しています。

 こうした処刑役人のうち、最も有名で、最も数奇な運命を辿った人物が、本書の主人公、パリの死刑執行人「ムッシュー・ド・パリ」の4代目当主シャルル-アンリ・サンソン(1739 - 1806)です。

 彼は、たまたまフランス革命に直面するという歴史の偶然によって、ルイ16世マリー・アントワネットら旧体制の人々をその手にかけて、普通ならばひっそりと生きていくはずの処刑人であるにもかかわらず時代の寵児となり、その後は皮肉にもダントンロベスピエールといった革命の雄たちの処刑まで一手に引き受けました。本書は、彼の人生のドラマ(まさにドラマと呼ぶほかない)を描くことでフランス革命の裏面史を描いた、著者渾身の傑作です(実証性については、ノンフィクション一歩手前、というあたり)。

 洋の東西を問わず、革命前の封建制度の時代において、職業は世襲制です。従って、シャルル-アンリもまた、生まれたときから、呪われた職務を一身に引き受けることが決定されていました。世間の人々からは穢れた存在として忌避され、結婚も普通の人々とすることは許されず、子供を学校に行かせるには身分を隠さねばならない ―― 親の職業がバレれば即退学 ―― というのが、処刑人の運命です。しかし、ここが人間社会の不思議なところですが、穢れと呪いを背負わされた存在は、その反対である聖性をも同時に持つことになります。驚くべきことに、サンソン家は、商人からの租税徴収権や貴族と同じ免税特権や帯剣の権利を国王から認められており、貴族並みに裕福な生活をしていました。かつ、仕事の特性上、人体について知悉し、死体の解剖をも行っていたので、腕の良い医師でもありました。また、裁判所とタッグの仕事であるため、法律についても詳しく、高い知性を要求される仕事だったのです。賎民でありながら貴族、処刑人でありながら医師 ―― この二面性を一人の人間の中に内包する存在が執行人でした(賎民が聖性を備える不思議な現象は、日本でも見られます。私は網野善彦の中世非人の研究(『中世の非人と遊女』)と、赤木しげるの「地獄の砂に触れたものは幸運をつかむ」という名言を思い出した)。

 また、我らがサンソン君は、個人としてみても、非常に興味深く、不思議な魅力を備えた人物でした。偉丈夫で剣の達人、しかも色男で、若い頃は大いにモテた。また熱心なカトリックで、死刑制度には内心で常に懐疑的という、人間としても矛盾を抱えていました。こういうミステリアスで危険な雰囲気を漂わせたイイ男は、いつの時代もモテるものと相場が決まっています。『ジョジョの奇妙な冒険』の主人公のモデルになったのも、頷ける。

 しかし彼は、自分の仕事に懐疑的ではあっても、責任を投げ出したことはありませんでした。彼の倫理感の強さと明晰な知性を立証する事件が、27歳のときに起こります。事の成り行きはいたって単純で、レストランでサンソンに一目ぼれした貴族の婦人が彼に声をかけ、一緒に食事を楽しんだのですが、後で職業が死刑執行人と分かって、侮辱されたと逆ギレしたのです。「処刑人なら処刑人と、最初からはっきり言うべきではないか。そもそも、処刑人なら自分のような貴婦人に近づくことすら遠慮するべきではないか。なんというずうずうしい、恥知らずな男だ。」(p.39)

 今なら考えられない話ですが、なんとこの婦人はサンソンを名誉毀損で訴えます。侮辱について謝罪すること、および、処刑人は誰にでもすぐにそれとわかる目印を服と馬車につけること、という噴飯ものの要求を受けたサンソンは、敢然と受けて立ち、自ら法廷で反論を行います(弁護士は誰も引き受けてくれなかった)。

 自分は国家から職務を授けられている。もし処刑人が忌むべき不名誉な職業であるとするならば、それは国家の名において行われる職務が不名誉であるということだ。それはすなわち、私に処刑を命じる判事の皆様の職業も同時に不名誉だということになる。だが、国家において不名誉な役職というものがあるだろうか? それは国家、ひいては国王に対する侮辱ではないのか? 国家の名において人を殺めるという点において、処刑人は軍人と変わることがない。それならば、軍人もまた不名誉な職業だろうか? 断じてそうではない。軍人を避ける人はおらず、一緒に食事をすることはむしろ名誉なこととされている。それなのに、なぜ処刑人のみが蔑まれなければならないのか……

 サンソンの論理には、一分の隙もありません。婦人の訴えを認めて処刑人を不名誉な職業と認めてしまえば、判事は自らの職業を不名誉と認め、さらには国王に対する不敬罪まで覚悟するところまで追い込まれる。相手の前提を認めた上で矛盾に持ち込む ―― 教科書に載せてもいい、お手本のような背理法です。サンソンは法律家としてもやっていけたことでしょう。この自らの(そして先祖代々および同業者たちの)尊厳をかけた名弁論によって、見事、事実上の訴えの棄却を勝ち取ります。この裁判のくだりは、前半の山場です。

 本書の後半、サンソンは、意図せずして歴史の嵐に巻き込まれていくことになります。フランス革命の勃発。もともと、サンソンは生粋の王党派で、ルイ16世を敬愛していました。これは彼が特別だったわけではなく、当時のフランス人はみんな大体そうです。ルイ16世は、決して『ベルサイユのばら』に描かれているような「アホで間抜けなフランス白人」ではなく、結構名君でした。フランス革命が達成した程度の人権政策などは、彼の治世がそのまま続いていたとしても、無理な流血なく実施されていたという意見もありますし、革命時点でも国民から絶大な人気がありました。革命勢力側も、最初は国王の廃位なんて誰も考えておらず、立憲君主制へスムーズに移行できると考えていたのです。サンソンも革命を好意的に見ており、特に彼が期待をかけたのが、死刑制度の廃止でした。

 1791年、国会で死刑制度の廃止を提案したのは、若き日のロベスピエール ―― 後にサンソンに最も多くの処刑を命じることになる男 ―― でした(マラーもこの意見に賛成している。歴史の皮肉というには苦すぎする)。もし合法的に死刑制度が廃止されれば、自分はもう何の葛藤も持つことなく、医業にだけ専念することができる。もう子供たちに自分の職業を恥じさせる必要もない……! サンソンの胸は、大きな期待に膨らんだことでしょう。でも、私たちは知っています。彼の希望的観測が脆くも砕かれる時代が、すぐそこに迫っていたことを。サンソンがその後、どのような後半生を送ることになるかは、本書を読んで確かめてください。息をつかせず一気に読み終えてしまうに違いありません。

 サンソンの希望がかなえられ、フランスで死刑制度が廃止されるのは、ずっと後、1981年のことです。彼は死刑制度が間違っているという、早すぎる確信を持ったままこの世を去ります。処刑人 ―― もしそれが呪われた職業であるならば、それは人を殺すことそのものが呪われた行いだからだ。人は誰も、人を殺すべきではない……。

 本書を読み終わったら、皆さんも考えてみてください ―― 死刑、是か非か。