パラダイス鎖国は老人だけの楽しみです

 自分が尊敬していた人がダメになっていくのを見るのは悲しい。ビジネスにおいても文化においても、最近の日本が海外に目を向けず、内へ内へこもる傾向を見せ始めていることは確かだし、これからもその流れが加速する、という予想はきっと当たるでしょう。

「国内に同国語の十分なリテラシーをもつ読者が一億以上」いるということは、言い換えると、「日本語を解する読者だけを想定して著作や出版をやっていても、飯が食える」ということである。
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日本には巨大な国内市場がある。
国内市場限定で製品開発しても、売れればちゃんともとがとれる規模の市場が存在する。

 日本が非常に大きな国内市場を持っていることは、事実です。だから、最初から世界を目指さなければならないフィンランドのような小国とは、自ずと生存戦略が違うことは、内田さんの言うとおりです。でも、その国内市場がこれからすごい勢いで縮小することも、私たちはもう十分に知っているし、内田さんも知っている。何しろ、少子化に備えて大学をダウンサイジングする必要性を唱えていた人なのです。

 そのようにシュリンクする市場を相手に「小商い」を続けた場合、どうなるか。結末は火を見るより明らかです。ジリ貧以外の何物でもない。「小さな市場を相手にチマチマ小商いをする」という選択肢が有効なのは、市場が縮小しないという前提条件が満たされる場合だけです。アメリカも日本以上の「内向き国家」だけど、アメリカは先進国の中でも高い出生率を誇る人口増加国ですし、英語圏の巨大な市場を国内にいながらにして相手にできる(アメリカの2006年の出生率は2.06)。アメリカが代々、平気で内向き孤立政策を取れる背景には、こういう事情があります。

 そもそも、日本が内向きでやっていけるほどの巨大な国内市場を持ったのは、せいぜいここ20〜30年のことです。戦後の焼け野原では、国内市場なんてどこを見渡しても無かった。そんな中、最初から世界へ売ることを考えざるをえなかった企業がトヨタであり、その後にホンダやソニーが続いたのです。私たち日本人は、そうした輸出産業がこれまで積み上げてくれた豊かさの上にあぐらをかいて生きている。私は自動車は嫌いだけど、でもそのことには感謝しないわけにはいかない(そしてその輸出産業が不調に陥ったことで、いま日本全体が苦境に立たされています)。

 でも、内田さんもきっとそんなことは分かっている。彼の念頭にある「小商い」の産業は、そういう製造業ではない。もちろん、ITなどのサービス産業でもない。「著作や出版」という言葉から分かるように、彼が気にかけているのは日本語で書く「物書き」の市場なのです。この先の数十年、自分が食い扶持を稼いでいけるかどうかを気にしている。そして「どうやら自分が生きている間ぐらいはもってくれそうだ。やれやれ」と胸を撫で下ろしてだらしなく本音を漏らしてしまう(池田信夫氏は、大学の経営だって安泰ではないという批判をしているけど、内田さんはもうすぐ大学を定年なので、大学の経営状態にはほとんど影響は受けない。この批判は少し的を外している)。

 数年前、初めて内田樹という物書きを見つけたとき、私は本当に感動しました。山形浩生斉藤美奈子を見つけたときと同じぐらい嬉しかった。それから氏には本当に多くのことを教えられました。今でも感謝しています。でも、もう今では、内田さんを批判せずに読むことができなくなってしまった。いつか必ず人間は衰えるものだと頭では分かっていても、もう少し長く、彼の活躍を見ていたかった。私は、それが悲しい。

 彼の読者層は、かなり年齢層は高いと思うけど、若い人々は、こういう鎖国趣味はお金持ちの老人だけに許された贅沢であることを肝に銘じておいてください。若者は、いつだってフロンティアを目指すべき生き物なのです。内田さんの文章は、きっとそういう道程のいい「燃料」になるでしょう。