毒入りピースミール工学:パオロ・マッツァリーノ『日本列島プチ改造論』

 日本が誇る謎のエンタメ系学者マッツァリーノ待望の新刊が発売され、先ほど一気読みを終えました。この人は私にとって、「ワクワクしながらページをめくる」という得がたい経験をさせてくれる数少ない書き手の一人です。寡作なのが惜しいけど、でもその分クオリティを保ってくれているので、贅沢は言えない。さて、今回も手放しで誉めますよ。

 『日本列島改造論』といえば、知らぬ者のないあの田中角栄の代表作です。「三国峠をダイナマイトでふっ飛ばせば新潟に雪は降らない。そしてその土を日本海に運んで佐渡と陸繋ぎにしよう」という豪快な発言で知られるとおり、その改造論も壮大な大風呂敷です。本書は、(別に角栄に含むところはないのだけど)こういうカッコいい「抜本的改革」を唱える人々に対するアンチテーゼです。

 メディアなどで発言する、いわゆる「論客」の人々は、どうしても問題を大袈裟に語り、「いまそこにある危機」を誇張しようとするバイアスがかかります。その方が、自分たちの仕事が増える仕組みになっているからです。「もう日本はダメだ。今すぐに大改革を行う必要がある」とぶちあげて大衆の不安を煽って、「どうすれば助かるか知りたい? じゃあ続きは私の本を読んでいただいて、おっと講演にも来てくださいね。ハイ、握手握手・・・・・・」。古株の新聞記者ならマッチポンプという言葉を使うかもしれません。まあ、見慣れた構図、といえば見慣れている。

 こういうのは、構造的な問題なのでいちいち腹を立てても仕方ありません。この手の「危急存亡論」の毒に対抗する解毒剤は、怒るんじゃなくて、矛盾点をいちいち突っ込んで笑ってやることです(『つっこみ力』はその指南書でした)。本書は、そこからさらに進んで、「今の日本の制度は基本的にそんなに悪いものじゃない」という前提から、様々な「小改革」を意外な視点から次々繰り出しては視界を開く、痛快な本です。「うむ、そういう考えもあったか!」と膝を叩きながら味わう、解放的な読後感がたまらない。

 著者が出発点とするのは、今の日本がそんなに悪い国じゃない、という事実です。いまさらあまり言われないけど、戦争もなく、経済も(相対的には)安定していて、水道ガス電気医療教育ITのインフラも整備されている。もちろん、どんな国も長く運用してくれば、制度疲労がたまってあちこちガタが来るものだし、そういうときに原点回帰、焼け野原願望が芽生えるのは、分からない話じゃあ、ありません。しかしだからっつたって、いきなり今ある制度を放り出すのは、早計にすぎます。選択するときは、常に複数の選択肢を比較してからにしましょう。ゼロから新しい国を作り直すのはロマンチックだけど、結構大変なんですよ? 「ありもの」をつぎあわせてしばらく凌げるなら、それも十分考慮に値するじゃありませんか。

 まあ、もっともな話、ではあります。内田樹は、こういう、基本路線を変えずに個別のパッチ当てで延命を図る方法をピースミール工学と名づけて評価しています。IT に喩えれば、OS を Windows から Linux に変えるようなちゃぶ台返しは行わず、文句をつけながらもパッチをあてて Windows を使いつづける、ということです。

 著者も、そういう立場で書いているんだな・・・・・・と思ったのは、実は最初の数十ページだけ。このタヌキ親父は相変わらず食えない。「プチ」なんて控えめな言葉使ってますけど、実は恐ろしく鋭いガラスの破片を紛れ込ませている。以下、私が面白いと思ったテーマを幾つか抜粋しましょう。

  • 公貸権。皆さん、この権利の存在、知ってました? 私は恥ずかしながら今まで知りませんでした。図書館から本が一回貸し出されるたびに、本の著者に使用料が払われる仕組みで、主に欧州で導入されています。これはうまい。日本では、作家が図書館に自分の本が置かれることを嫌うケースがよくあるのですが、その根拠は、図書館で読まれると本が売れなくて、収入にひびくからです。そのため、「ものかきが自分の書いたものが広く読まれることを欲しない」という倒錯した現象が日本では見られるのですが、これを導入したら書き手も文句はないでしょう。お金の出所は、借りた人が払うケースと、政府が税金で出すケースとあるようですが、日本では後者が現実的です。

 これは著者は言及していませんが、この仕組みは、いま Google があちこちで衝突を繰り返している、「全ての著作物を Web で読めるようにする」というプロジェクトにも応用できるかもしれない。もっとも、電子ファイルはコピーと頒布が簡単なので、物理的な書籍と同じ扱いはできないでしょうけど。

  • Suicaで通勤ラッシュ解消。米国ワシントン D.C. の地下鉄は、朝夕の通勤ラッシュ時に運賃が 5 割増しになる。し、しらなかった。日本の従来の「定期券」制度では、こういう柔軟な運賃の変更はできませんでした。でも改札とおるたびに「時価」で払う Suica なら、これが可能になります。それ以外にも、Suica ならログを残せるため、国会議員が悪用しがちな JR の無料パス券の問題が解消される。うーむ、これぞ IT 革命。
  • マンションにも返品を認めろ。普通、買った商品に問題があったら返品が可能です。何千万ものデカイ買い物なんだから、マンションや家こそ返品できて当然のはず。そのように結果に責任を持たせれば、デベロッパーも真剣に偽装対策を行うに決まっている。いやごもっとも。ついでに言うと、マンションて、なぜか「完成品」を買うことができないのですよね。まだ建ってないうちに買うので、商品の詳細が分からないまま「エイヤ!」で大金を払うことになる。これも偽装がまかり通る原因の一つです。昔、完成品のマンションを、じっくり見てもらってから売る、という試みをしたデベロッパーもいたそうですが、上手くいかなかったようです(「完成しても売れ残る安物」的な見られ方をしたらしい)。
  • 税による福祉の一元化。著者はこの話をさらっと書いているけど、先鋭的すぎてヤバイ! たとえば、給食費の未払い問題。本当に生活がカツカツで払えない人が給食費を払えないことには、多くの国民が同情的です。一方で、裕福なのにただのケチや利己主義で払わない連中からは何が何でもむしりとってやりたい ―― そんなの簡単です。給食費を無料にして、その分を住民税に上乗せすればいい。その際、納付率を累進的に決めておけば、所得に応じた平等性もバッチリ保証されます。学校の先生が一軒一軒回って回収するマンパワーの無駄も省けて、先生もニコニコ。学校もニコニコ。

 同じ事が、年金にも言えます。今の年金は、一定以上の年齢の老人には同じだけの金額が払われます。でもお金持ちの老人に年金をあげる必要はない。むしろ負担してもらいたいぐらいだ。一方、病気持ちで働けず、本当にギリギリの生活をしている老人たちも大勢いる。こういう人にはもっと年金を上げた方がいい。今の年金制度は不平等なうえに非効率的です。同じ事が、バスの高齢者無料パスや、医療保険についても言えます。こういう福祉は、老人というだけで一律給付するのではなく、あくまで所得に応じて累進的に給付しないと意味がない。これを解決するのも非常に簡単。今のそういう福祉の現物給付を一切廃止して、所得の低い人(あるいはない人)に、お金をあげるようにすればいい。そうすれば、本当に必要な人に与え、与える必要のないお金持ちには与えなくて済む。

 実は、このアイデアの源泉は、経済学者ミルトン・フリードマンたちの考えた負の所得税にあります。極めて効率的、しかも平等という一石二鳥の制度。

 でも、ここまでくると、とうてい「プチ」などとは呼べない。戦後日本の官僚主義的な体制を引っ繰り返す爆弾です。というのも、まさにその効率性こそが、この税金一元化の「難点」だからです。どういうことかというと、この制度をもし本当に導入すると、厚生労働省社会保険庁が不要になるのです。いや、それ以外にも、地方自治体の福祉課も連座して不要になるでしょう。フリードマンに心酔する池田信夫は、こう述べます。

フリードマンの提案したのは、こうした生活保護を補完する制度ではなく、現在の所得税システムとともに生活保護公的年金も廃止し、課税最低所得の上にも下にも(正または負の一定率の)フラット・タックスを課すことによって、福祉を税に一元化するものだった。これによって税制は劇的に簡素化され、厚生労働省を廃止すれば、きわめて効率的な福祉システムが可能になる。

しかし、まさにその効率性が原因で、負の所得税はどこの国でも実施されていない。大量の官僚が職を失うからである。現在の非効率な「福祉国家」では、移転支出のかなりの部分が官僚の賃金に食われている。それを一掃して負の所得税に一本化すれば、現在の生活保護よりはるかに高い最低所得保障が可能になろう。フリードマンは、やはりまだ新しい。(「負の所得税」

 著者は、はっきりここまでは言いません。あくまで毒はピースミールという甘い皮に包んで「さあ、熱いうちに召し上がれ」と差し出す。だからタヌキと言うのです。私はいま、珍しく興奮して書いています。きっと毒にあたってしまったのでしょう。でもこんな毒なら大歓迎です。も、もっと欲しい。大麻なんかよりずっといい(吸ったことないけど)。ひゃっほう。