分かりにくさの効用

 前回のエントリで、「ブラックな部分がないと商売はできない」という話を書きました。お客から見て、難しくて面倒で、曖昧なところがないと利益を乗せにくいからです。ホワイトなところに利益を乗せると、「え、その作業にそんなかからないでしょ。高すぎだよ」と言われてしまう。だから、原価率を公表した生命保険会社は、同業他社から非難を受ける。

 原則としてはオープンにされている知識であっても、その難しさと複雑さのために実質的にブラックになっている部分というのは、探すとけっこう見つかります。数学や科学などの技術的な知識はそうですし、法律もそうです。司法書士が行う代表的な仕事に登記がありますが、これは別に、司法書士に頼まないとできないわけではありません。依頼すると数万円から数十万円かかるので、住宅を購入したときに、面倒な手続きを厭わず自分で登記をした人もいるでしょう。しかし、それで司法書士の仕事がなくなるわけではありません。お金を払ってでも他人に面倒な作業を頼みたいという人は、必ず一定数いるのです(それでも、昔に比べて自分で登記する人が増えて、段々パイは減っているようですが)。

 この原理を悪用すると、仕事を作るためにわざと法制度やシステム設計を難しく非効率的にしておくという、ちょっと倫理的にいかがなものかという戦略も可能になります。分かりにくいことから利益を得る人間がいるというのは、効率的な制度設計へのインセンティブを削いでしまう危険がある。実際、福祉制度の仕組みをもっと簡素化して効率をあげることは可能なのですが、それをやると大量の公務員が失業してしまうため、絶対に手がつけられません。石川淳はかつて「文学のはなしでは、答えが出ただけでは市が栄えない」と言ったそうですが、この文はきっと文学に限らず真だ。