なぜ資源は有限なのだろう?

 『ER』も、もうすぐ第12シーズンを見終わってしまう勢いです。本国では第15シーズンが放映中だそうですが、現在日本で見られるのはここまで。

 『ER』は常に人間と社会について深く考えさせられる名作ですが、今シーズンでは外科部長ドゥベンコが脳死状態の老女の ICU 入院を断るエピソードが良かった。ICU は一人の患者に一日2万ドル(約200万)かける、本当に緊急で重篤な患者だけを収容するための施設。だから常にベッドは満杯で人手が足りない。治療しても改善の見込みのない老人は優先度が低いため、ICU に入院させることはできません。ドゥベンコ以下ドクターは全員、そういう判断を下します。この判断は、社会全体の効用の最大化を目的にする限り正しい。特に ER のような慢性リソース不足の現場では、常に機会費用を意識して行動しないといけない。

 でも、老女の夫にしてみると、そうではない。自分の妻は他の誰よりも優先度の高い only one であるため、彼女を救うことが他の全てのタスクを押しのけて最優先にランクされます。だから、ドゥベンコに袖の下(かなりの大金)を渡してでも ICU へ入院させようとする。ドゥベンコは、職業倫理からこれを正当に拒否するのですが、その結果、夫から冷血漢として罵られます。「目の前で苦しむ人間を救わない」ということは、どうしても感情を逆なでする。でもそれを承知の上で、全体最適を目指す人間は、荒野を進まないといけない。他の全ての人間から石を投げられても。

 ケリーは ER 部長に就いたスーザンからアドバイスを求められて一言「部長は友人をなくし、部下から嫌われ、孤独になる」と答えました。

 「・・・・・・他には?」
 「ないわ」

 全体最適を目指す人間は、不幸になる。それは、親密な小集団の利益を最優先とする人間の本能に反する行いだから。時間・人手・モノという資源が有限である以上、必ず人間の営為にはプライオリティをつけなければならない。でも、それは事実ではなく価値の水準における作業なので、必ず価値観と尊厳を賭けたガチンコ・バトルになる。「環境問題だって優先順位をつけるべきだ」というロンボルグの主張が感情的な反発を招くのもそのためです。

 いっそこの世界に資源が無限にあったなら、みんな悩まなくてすんだのに。その世界でなら、誰もベッドの空きを気にせず入院し、好きなだけの治療を受けることができる。でも悲しいかな、使っても減らない資源は、この世界にはほとんどありません(情報はその数少ない例外です。だからインターネットは共産主義的なユートピア思想と親和性が高い)。人類社会が続く限り私たちは、新しい資源をどうやって見つけ、いかにして枯渇する資源を効率よく使い、どう分配するべきかという問題から自由になれない。私たちが有限の世界を生きる以上、トレードオフはついてまわる。

 というわけで読みましょう。山形さん翻訳の新刊です。『人でなしの経済理論-トレードオフの経済学』

 全体最適を目指す人間は、人でなしとも呼ばれます。人でなしの全てが全体最適を目指しているわけではないのだけど。