比較優位

 今週の『ER』で学ぶ社会学の時間です。

 今回取り上げるエピソードは、外科医のコーデイが、パーキンソン病医学生ネイサンに「精神科に専攻を変えろ」と諭す場面です。

 パーキンソン病は、よく知られているように体が震えたり硬直したりする進行性の病気で、現時点では不治の病です。マイケル・J・フォックスモハメド・アリらもこの病気に罹患しています。微妙で繊細な手技を必要とする外科医には、およそ致命的な病気で、ネイサンも手技の最中に手が震えてヒヤリとする局面があります。

 これを見かねたコーデイは、屋上でネイサンに「あなたに外科医は無理だ」と因果を含めます。そのとき、通常の学生と同じローテーションを守ることにこだわるネイサンに向かって、コーデイが使う論法が比較優位です。

 あなたには、困難な状況にある患者や家族の心情を忖度し、精神的な助けを与え、正しい道を諭す力がある。これは余人には真似のできない「天賦の才」である(他人の評価に厳しいコーデイがこの言葉を使うのは、後にも先にもこの時だけです。才気煥発のベントンにも言わなかった)。患者の胸を開いたり喉にチューブを通すのは、凡百の外科医にもできる。あなたは、あなたが最も能力を発揮する分野に進むことが、全体のためなのだ・・・・・・。

 ネイサンが本当に精神科医の才能をそんなにもっているかどうかは、彼がここで退場してしまうため、本編からは分かりません。もしかしたら精神科医としても月並みで、ただ説得のためのリップサービスだったのかもしれない。でもそれは重要なことではありません。彼が外科医になった場合と精神科医になった場合、どちらが全体にとってより得か、という点だけが重要で、その点について、コーデイの判断は間違っていない。あとはそれをネイサンに納得させられればいい。

 『ER』が大人なドラマだと思うのは、ドクター、特に部長クラスのドクターが常に機会費用全体最適を原則に行動していることです(そんなの管理職としてはイロハのイでしょ、と思えるあなたは恵まれている)。コーデイも確か、上のエピソードの時点では外科副部長だったはず。彼女はまた、出来の悪いマルッチに対して「あなたが医者を諦めることが、最も多くの患者を救う道である」と正しいが非人情なセリフを投げつけたことがある。かっくいー。

 なぜ彼らにはこうした冷たく合理的な判断が出来るのだろう? それは、彼らが常に資源不足の現場で働いていて、かつ結果に対して大きな責任を負う立場にあるからです(医療ミスをしたときに開かれる症例検討会という名の査問会のきつさはハンパではない。国会の証人喚問ぐらいきつい)。有限なリソースと行動に対する責任だけが、人間を大人にする。

 もっとも、それを突き詰めるとインフルエンザの患者で溢れる待合室を見て「治療なんかせずこいつら全員淘汰された方が社会全体のためだ」というロマノの最終解決的ソリューションにも理があることを認めるところまで行き着くのですが・・・・・・話が不穏当になるので今日はここまで。

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 それにしても『ER』の後にゴッドハンド輝の CM とか見ると彼我のあまりのレベル差に力なく笑ってしまう。日本のドラマも予算削られて苦しいでしょうが、それを克服するためにもビジネスモデルを転換した方がいいのでは? 一度放映して終わりの使い捨てドラマではなく、その後長期にわたって、かつ海外市場にまで売れるクオリティの高いドラマを作り、ランニングでペイするようにしてはどうでしょう。『コロンボ』、『シャーロック・ホームズの冒険』、『奥様は魔女』といった古典から始まり、『24』、『ER』、『となりのサインフェルド』、『ツインピークス』、『Sex And The City』、『デスパレートな妻たち』、『ザ・ホワイトハウス』と近作に至るまで、海外の名作ドラマは放映終了後も根強い人気があり、レンタルビデオ店からも消えない。『サインフェルド』はそれまで無敵だった『ER』を打ち負かしたオバケドラマですが、今でも世界中で再放送され高収益を叩き出しています。

 常に短期で儲けを出し続けなければならない日本型の「焼畑農業」では、製作側もきついでしょう。