『Economist』:がんばれジャイアンツ

 1996年、ビル・クリントンは彼の言葉の中でも最も世に知られた一言を発した ―― もう大きな政府の時代は終わった、と。もしかすると、続けて大企業の時代も終わった、とも言っていたかもしれない。事実、20世紀の資本主義そのものとみなされていた大企業は、企業買収家から攻撃され、株主にブッコみをかけられ、新たな起業家に出し抜かれ、苦しい後退戦を強いられていた。

 「全米〜」という仰々しい名前の会社は消え、他の巨人たちは多大な出血と引き換えになんとか命脈を保つのがせいぜいだった。IBM は 1990年から1995年の間に、総労働力の 1/4 にあたる 122,00 人を解雇した。誰もが、未来は Yahoo! ―― 1998年時点でボーイング社と同じだけの市場資本を持ちながら、社員数は後者の 230,000 に対して 637 人しかいなかった ―― のような起業家集団のものだと信じていた。GDP に占める大企業の生産高の割合は、1974 年から 1998 年の間に、36% から 17% に半減した。

 だが今日、再び風向きが変わり始めている。これにはある程度、先の経済危機も関係している。ベンチャー資本市場はこれに直撃され、多くの新興企業が壊滅した。政府が援助したのも、シティグループGMといった潰れると影響が大きすぎて潰すに潰せない大企業ばかりで、中小企業は見殺しにされた。このようにして、不況は中小企業や政財界にパイプのない企業を淘汰した。だが、バランスが逆転したことには別の理由もある。その理由によって、大企業はここ数十年失っていた自信を取り返している。

Big is Beautiful
 もちろん、ここ数十年の間だって、大企業が完全に消え去ったわけではなかった。常に第一線で活躍を続けた大企業は多い。ユニリーバトヨタのように、順境においても逆境においてもイノベーションを継続させてきた企業もある。そしてまた、全ての新興ベンチャーが成功したわけでもない。ネットスケープエンロンは産業に革命を起こしたが、その代償として自らを破壊してしまった。しかしそれでも、全体としてみれば追い風は中小企業に吹いていたのだ。

 起業ブームが過熱したのは、二つの発展による。まず規制緩和によりそれまで制限されていた市場が開放されたこと。そして第二に AT&T のような国内王者と呼ぶべき企業が解体されたこと。こうして、1970年代のパーソナル・コンピュータと1990年代のインターネットの登場を待って、数多くの起業家たちが生まれることになった。スティーブ・ジョブズスティーブ・ウォズニアックがアップルを立ち上げたのは 1976 年で、場所はジョブズの家のガレージだった。マイクロソフトDell もティーンエイジャーによって、それぞれ 1976 年と 1984 年に作られた。Google もまた、ラリー・ペイジセルゲイ・ブリンスタンフォード大学の寮の部屋で始めたものだ。

 しかし、金融危機が訪れる前の時点で、既に規制緩和は時代遅れになっていた。エンロンが不名誉な崩壊を遂げたことを受けて SOX 法が成立し、規模にかかわらず全ての企業に規制の重荷がのしかかるようになったのだ。しかし、大企業にとっては「負担」程度ですむものも、小企業にとっては活動不能になってしまう危険がある。かつ、今日のダイナミックに変化する産業においては、IT 産業を除けば、大企業が有利だという事実は動かしがたい。たとえば、バイオテクノロジーの研究はコストがかかるし、たいていの場合、数年間は成果が出ない。このような分野では、豊富な資金を持つ大企業しか手を出せない。近年、資源の獲得競争が激しさを増すのにつれて重要性が高まっているエネルギー産業でも、規模が大きいことは必須である。

 もしかすると、こういう巨人たちの帰還を、自由競争を阻害するものとして心配している人もいるかもしれないが、しかしそれは杞憂だ。大きいことそれ自体が必ずしも醜いことではない ―― 小さいことが必ずしも美しいわけではないように。多くの起業家は自分たちのベンチャー企業を何とか大きくしたいと望むものだし(あるいは少なくとも、大企業に売りつけたいとは思うはずだ)、大企業と中小企業の間には共生関係がある。最近はやりのクラウド・コンピューティングにしたって、大企業が大規模サーバーを作ってくれなければ、若く小さい企業が巨大なコンピュータ・パワーを利用することはできない。バイオテクノロジーのベンチャーは、豊富な資金を持つ大企業から仕事をもらわないと、そもそもスタートすらできない。

 最も理想的な経済システムというものが、もしあるとすれば、それは、大から小までバラエティに富む規模の企業を含むだろう。その点で、アメリカの経済はヨーロッパのそれよりもずっとダイナミックである。それは、アメリカに企業を生みやすい土壌がある、というだけではない。生まれた企業が成長しやすい土壌もあるのだ。1980年以降に生まれた企業のうち、現在市場資本のトップ 1,000社に入っているのは、EU では 5% にすぎないが、アメリカでは 22% にのぼる。

でも本当に大事なのは規模じゃない

 そのようなわけで、大企業の復活は世界経済にとってよいことだと言っていい。ただしそれは、企業が規模に固執しないならば、という条件付きでの話だ。特に、ぜんぜん無関係の分野にまたがって活動を展開するコングロマリット形式に囚われるのは危険だ。この誘惑は企業にとって強いものがあるが、一線で成功する企業は自分のコア分野に集中するものだ。

 政治家もまた、大企業に対して本能的に持ってしまう疑いの念に抵抗しなければならないし、大企業を優遇して失敗した過去の過ちを繰り返してはならない。GM のような救いようのない企業を支えるためにリソースを割いてしまったことだけでも十分悪手だが、政府が勝者を選ぶ時代に逆行することはなお悪い。経済のために政治家ができる最善のことは、企業家が事業を始め、小さな会社を大きくする際の負担と障壁を取り除くことである。