インセンティブとモチベーション

 オバマ大統領が就任して1年もたたないうちにノーベル平和賞を受賞したことに、困惑と批判の声があがっています。まだ赫々たる実績がないのだから、これは当然の反応です。支持層である民主党側からさえ、おかしいという声があがっていて、ロバート・ライシュなんか「ブッシュとの比較でもらえただけだ(He's prizeworthy and praiseworthy only by comparison)。前任者がひどくて得をしたな」と嫌味を言っている。

 もっとも、オバマ氏自身が「賞をくれ」と圧力をかけたわけではないのだから、彼を批判するのはお門違いです。ベネズエラチャベス大統領が言うように、与えてしまった委員会の方を批判するのが正しい。

 そもそも賞には大きく2種類あります。一つがノーベル賞のような実績に対して与えられる賞、つまり功労賞ですね。これは過去の活動の積み重ねと結果を評価して贈るものなので、受賞者はおしなべて高齢になります。「ノーベル賞を取るには長生きが条件だ」と言われるぐらいで、谷崎潤一郎みたいにあと少し生きていれば貰えたのでは、という人もいるし、村上春樹が毎年候補といわれながら貰えないのもまだ若いせいだと言われています。まあそういう余談はさておき、このタイプの賞が持つ社会的意味は、はっきりしていて、それはインセンティブです。いや私たちは賞を獲るために日々努力しているわけではない、賞はただの結果だ、と受賞者の皆さんは言うでしょうが、でも貰えないよりは貰えた方が嬉しいでしょう。その証拠にノーベル賞の辞退者はとても少ない(自発的に辞退したのはサルトルレ・ドゥク・トだけ)。

 一方、もう一つのタイプが芥川賞直木賞みたいな新人賞です。これはまだ実績の少ないルーキーに主に与えられますが、その社会的意味はモチベーション、つまり「君には期待している。これからもその調子で頑張ってくれたまえ」という激励を与えることによる動機付けです。受賞した新人が本当にモノになるかどうかは、あげた時点ではよく分からないので、その後開花せずにひっそり消えていく人も多い。

 今回の受賞の問題点は、本来なら功労賞であるはずのノーベル賞を新人賞として使ってしまったことです。ここには、ノーベル賞をモチベーションとして利用することでオバマ大統領の活動を後押ししようとする政治的意図が働いている。その委員会の戦略は私にも分かるのだけど、でもかなりもったいないカードの切り方をしている。というのも、オバマ氏はもう十分に周囲からの期待は受けているので、モチベーションには事欠かない人物だからです。あまり効果があるとは思えない。逆に、今回授賞したことで、もうインセンティブとして使えなくなってしまった。なんだか委員会がずいぶん焦ったような印象を受ける。

 きっとブッシュ前大統領の国際政策があまりに世界にとって危険だったので、それを転換してくれただけでも嬉しくて、オバマ大統領が救いの神に見えたのでしょう。ライシュの皮肉は、案外的を射ているのかもしれません。