せめて人間らしく

 岡田外相が外務大臣としての本業とは別のところで面白いことをやっています。国会開会式での天皇の言葉に対して宮内庁に「もっと思いの入った言葉にしてほしい」と再考を求めた件です。もっとも、「本業とは別」というのは正確には正しくなく、内閣が天皇の国事行為に助言と承認を行う必要があることは、憲法第3条)で規定されているのだから、岡田氏は職分に沿った務めを果たしている。したがって、岡田氏のコメントの内容が不適切だとか、高齢の天皇の負担に配慮が足りないという批判はありえるけど、「そもそもコメントすべきでなかった」という鳩山首相のような批判は認められない。いきなり助言を放棄してたら内閣の職務放棄を意味するからです。

 でも、私がこの件を面白いと思うのは、そういう政治的なゴタゴタを見物できるからではありません。岡田氏の発言は、もっと広い射程を持っている。突き詰めて言うと、彼は私たちに対して「あなたは天皇を人間だと思っているか?」と問いただしているのです。

 唐突に何を言い出すのか、と思いましたか? まあ順を追って説明しましょう。

 天皇の言葉は、実質的に宮内庁の官僚が代筆した「作文」であることは周知の事実です。言っちゃえばゴーストライターなんですが、それ自体は珍しいことではありません。首相や政治家の答弁は官僚が作文するし、アメリカの政治家は専任のスピーチライターを抱えている。でも、その内容は、本人の言いたいこと、すなわち「思い」をうまく代弁するものでなくてはいけません。毎回同じ言葉を聞かされていたら、誰だって「またコピペかよ」と思うのは必然です。そんな無能なゴーストライターは即刻クビです。だから岡田外相の批判の一番の矛先は、実はその「無能なゴーストライター」、つまり宮内庁に対して向けられている。

 では宮内庁は何で毎回明らかに手抜きな作文をするか? いくつか仮説は考えられるけど、天皇に「思い」なんかない、あるいは必要ない、と思っているから、というのが妥当なところでしょう。前者であれば、天皇を自由意志のない傀儡だと思っていることになるし、後者なら民主国家で人間に与えられて然るべき言論の自由を、天皇には与えないと言っているに等しい。さて、天皇をないがしろにしているのは、俺かお前らか、いったいどっちだ? 岡田氏の言葉には、暗にそういうメッセージがこめられている。この問いかけに正面切って応えようとすると、現在の日本における天皇(および皇族)の立場の矛盾について議論する必要が出てくるため、それを恐れる人々が「不敬だ」という心理的圧力を加えて岡田氏の口封じをしようとしている、というのが今の状況です。

 実際、この問題を掘り下げると、嫌でも天皇や皇族の自由権侵害というテーマを明るみに出さねばならなくなります。

 私たちパンピーから見ると、皇族というのは優雅でお気楽に見える一面を持っています。この長期不況の時代に失業の心配はなく身分や生活を保証されている。しかも税金で。いいよなー虫とか鳥の研究してたまに気が向いたら手を振ってればみんな喜ぶんだから。

 でも一方で、この人たちはひどく不自由です。信教、職業選択、居住移転、言論の自由はない。民主主義の根幹をなす参政権もない。民間人から皇族に嫁いだ雅子さんの苦悩を見れば、その不自由さがどれだけの負担であるかよく分かるというもの。

 私たちは、天皇が特定の政党の支持を表明したり、皇太子が政治家の発言をつかまえて「彼(女)の言うことには納得できない」と噛みつくことが絶対にない、という事実に慣れきっていますが、本当はこれは自由主義国家においては相当に異様なことです。だって一国の国民に、憲法で規定されている権利が与えられないということが公然と認められているのだから。

 この事実を前提した上で出てくる整合的な結論は、二つしかありません。一つは、皇族は人間ではあるけど、日本国民ではない。もう一つは、皇族は人間ではない。どちらも非常識な結論に思うかもしれないけど、でもそんなにありえない解ではありません。昔の日本は「現人神」といって後者のソリューションを使っていたのです。人間宣言以降、この解を採用するのは難しくなってしまったけれど。

 そうそう、整合的なソリューションは、もう一つあります。それは、皇族の人々を、人間でありかつ日本国民であると認める、というもの。彼らに基本的人権を全面的に与える、ということです。天皇が選挙に行き、皇太子が「日本の歴史、特に帝国主義時代を研究したい」と言えば研究させ、愛子さんが「学習院は嫌だ」と言えば別の学校を受けさせ、雅子さんがもう一度働きたいといえば働かせる(引く手あまただろう)。その代わり税金で養うようなことはしない。皇族でも、失業するときは失業する。自由とリスクはセット商品で、ばら売りはないですから。

 「天皇にも発言の自由を」と(暗に)望んだ岡田外相は、たぶんこの最後の解を頭の中に思い描いている。まあここまで全面的にやるのは行き過ぎと思うかもしれないけど、少なくともそういうことを公開議論しようじゃないか、という挑発をした。私が「面白い」と思ったのはその挑発性に対してです。

 氏に対する封じ込めの圧力は今後も厳しいだろうけど、ここで退いたら原理主義者の名が折れる。健闘を祈ります。