相対と絶対

 格差という言葉は、ここ数年の日本の経済政策を考える上でのキーワードになっていますが、でもこの言葉が実際に何を意味しているか、あまり明確ではありません。ただ、少なくとも格差というのは、あくまで相対的な概念で、その点で「食えるか/食えないか」という絶対的な基準が重要な「貧困」という概念とは別物です。

 だから相対的貧困率が高くなったことに対する鳩山首相の心配は杞憂です。貧困を「相対」という概念で量ることにはたいした意味がありません。相対的貧困率は、ある集団(日本)の中の平均との乖離で貧困ラインを設定するものです。でも、それで「貧困層」に分類されたとしても、その層の人々が自活できていれば、喫緊の問題はありません。むしろ日本の貧困層は、世界的に見れば十分に富裕層です。敗戦後すぐの頃の焼け野原の日本は、今より格差のない(=相対的貧困率の低い)社会でしたが、そういう状態が今の日本より望ましいと思うか、と聞けば、やっぱり大多数の人(格差に反対する人も含め)はそう思っていないでしょう。焼け野原に立ち尽くす人に対して「おめでとうございます。統計分析の結果、あなたはわが国の富裕層に認定されました」と言っても何の慰めにもならない。

 それに、もしあくまで格差の解消が最重要課題であるという主張に従うなら、最適解は一つしかありません。それは日本からアフリカやアジアの貧困に苦しむ国へ財の再配分を行うことです。国際格差は日本国内の格差なんか霞んでしまうぐらい酷いのだから、迷う余地なんてない。手始めにまず北朝鮮にありったけの物資を送ることから始めるのがよいでしょう。

 このように、格差是正「だけ」を目的にすると、到底受け入れがたい結論が出てきてしまいますが、そのことを格差反対派は言わない。矛盾に目をつぶったままだから、彼らの主張はつまるところ「もっとこっちによこせ」という配分要求にしかならない。本来、格差問題を考えるときは、許容できる格差と許容できない格差を区別し、どの程度の格差なら許容するのか、という点について社会全体で合意を持たないといけません。

 経営学の博士号を持つ首相に、この程度の理屈が分からないはずがない。鳩山氏が格差問題が問題であるかのような発言をするのは、これがバラマキを正当化するのに便利だからです。それはそれで一つの政治的手管だとは思う。でもそれによって、格差問題というのは、要するに経済問題ではなく、政治問題なのだ、ということを白状してしまっている。

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