論証の妥当性と健全性

 qwe さんから仮定を置いた文章(命題)の真偽の扱いについてコメントをいただいたので、お答えしましょう。論理的な議論をするときには、いくつかの仮定のもとに議論を進めることは多いので、これを理解しておくことは大切なことです。キーになるのは、論証の妥当性健全性という概念を、きちんと区別することです。

 参考にする資料としてリチャード・ジェフリー『形式論理学』を使います。引用のページ番号は断らない限り全てこの本からです。

 さて、妥当な論証とは、「前提がすべて真であるようなあらゆる場合に、その結論も真になるような論証のこと」(p.1)です。妥当な論証命題は恒真なので、いつでも主張することができます(ただし内容に全然関係のない命題をつなげたものは除く)。サンプルに、次のような論証命題を取り上げましょう。

ミックが時速500kmで走ることができれば、ミックは新幹線より早く走ることができる。・・・P

 Pは、妥当な論証です。仮定「ミックが時速500kmで走ることができる」が真である場合、結論「ミックは新幹線より早く走ることができる」が真になるからです(「技術が進歩して新幹線が500km以上で走れるようにならないこと」とか他の隠れた仮定もいっぱいあるけど、そういうのは本質と関係ないので省略)。

 一方、非妥当な論証は、絶対に主張してはいけません。たとえばこんな主張は認められません。

ミックが時速100kmで走ることができれば、ミックは新幹線より早く走ることができる。・・・P'

 P'は非妥当な論証です。前提が真になっても結論が真にならないからです。非妥当な論証を主張すると「アホ」と呼ばれます。

 ここで注意が必要なことは、論証が妥当なことは、結論が真であることを保証しない、ということです。実際、論証Pにおいて、「ミックは新幹線より早く走ることができる」という結論は、偽です。理由は簡単ですね。仮定が真にならないからです。私は500kmで走れません。

 つまり、結論を真とすることができるためには、論証が妥当であり、かつ仮定が全て真である必要があります。この条件を満たした論証を、健全な論証と言います。

 結論が真であることを保証してくれるのは、論証が健全であるということだ。単なる妥当性だけではこのような保証を与えられない。前提の中に偽の前提が紛れ込んでいれば、論証それ自体が妥当でも得られる結論が偽になることはいくらでもありうるからだ。また逆に、ただ単にすべての前提が真だということだけでもだめである。論証が妥当でなければ、真の前提から出発しても偽の結論が導かれてしまうことがある。(p.6)

 qweさんが「もし○○が××なら、■■はxxである。仮定が偽というか、信憑性を問わないのであれば、■以降は言いたいこと言えますよね。」と言うことで心配しているのは、たとえばこんな論証のことでしょう。

ミックが時速100kmで走ることができれば、地球上のカバが死滅する。・・・P''

 このめちゃくちゃな論証の仮定は偽です。でもご心配なく。非妥当な論証なので、主張することができません(仮定が真になっても、地球上のカバは死滅しまい)。だから、「仮定が偽な論証を使えば何でも言えてしまうのでは・・・」という心配は杞憂です。

 さて、それでは問題の種となった私の論証を見てみましょう。(論証の形式にするためちょっと文章を変えています)

もし格差の解消が最重要課題であるなら、最適解は日本からアフリカやアジアの貧困に苦しむ国へ財の再配分を行うことである。

 この論証を、私は妥当だと考えます。仮定が真なら、結論も真だと思うからです。だから、いつでも何度でも堂々と主張します。でも、この論証を健全だとは思いません。仮定が偽だと思うからです(格差問題より重要なことは沢山ある)。したがって、現実にこの論証の結論が真になることはない、と考えています。

 以上、「論理的な議論のやり方 第1回」でした。おやすみなさい。