欲望の制御装置としての資本主義:ミルトン・フリードマン『政府からの自由』

 最近、フリードマンの『政府からの自由』をパラパラと読んでいます。彼の著作の中では、『資本主義と自由』や『選択の自由』に比べると知名度が低いし、日本でも絶版なので若干かげの薄い本ですが、どうして素晴らしい内容です。専門的な論文ではなく、『ニューズウィーク』などの雑誌コラムの選集なので、肩肘張らない易しい語り口とヴィヴィッドな説明が入門者に嬉しい。しかも論理はこれ以上ないぐらい明晰で、読んでいて何度も感嘆の声をあげてしまう。池田信夫氏が「フリードマンを読め」と繰り返す理由がよく分かります。

 本書の中で特にお勧めなのが、冒頭に置かれた『プレイボーイ』誌のインタビューです。こういう雑誌のインタビューにほいほいとノーベル賞受賞者が乗ってくるのも凄いけど、フリードマンが楽しみながら答えているのがよく分かる。そしてまた、訳者の西山千明氏も誉めるとおり、『プレイボーイ』側のインタビュアーが素晴らしい。実に的確な質問でフリードマンの言いたいことを引き出すし、経済知識も豊富です。ただのエロ雑誌じゃなかったんですね(少なくとも30年前は)。

 この本のもう一つすごいところは、出版年が 1983 年なので相当中身も古いだろうと思いきや、まるで今日の日本を見て書いているのではないかと思うような箇所が満載なことです。これは一つにはフリードマンの議論が高い普遍性を持っているからでもあるし、もう一つは日本が80年代からほとんど進歩せず同じ問題の周りをぐるぐるまわっているからでもあるでしょう。

 たとえば一例を挙げるなら、民主党政権も考えている最低賃金の引き上げについて。フリードマンはこれが「全く底辺の労働者保護にはならない」と切って捨てます。

フリードマン:もし最低賃金が引き上げられた結果、それまで南部で十分採算が取れていた企業がだめになったら、それは南部の人たちにとっていいことですか、悪いことですか。もちろん悪いことでしょう。それまであった仕事が突然なくなるのですからね。最低賃金法というものの実体は、限られた技能しか持たない人々の雇用を禁止する法律なんです。

 
プレイボーイ:いや、十分に生計が立てられるだけの賃金を支払うよう、経営者に義務づける法律だと理解していましたが。

 
フリードマン:よろしい。では伺いますが、時間給1ドル60セントで失業している人と、時間給1ドル50セントで働き口のある人と、どちらのほうが生計を立てやすいと思いますか。いくら1ドル60セントもらえるはずでも、一週間全然働かないのでは、週給はゼロです。ここに一人の10代の若者と、一時間1ドル50セントなら彼を雇ってもいいという経営者がいるとします。しかし、法律はそんなことはだめだと言います。1ドル50セントで雇うのは法律違反だ、1ドル60セント払いなさい。しかし、この経営者にとって、若者を1ドル60セントで雇うのは慈善事業に乗り出すようなものです。彼の働きに対して1ドル50セントを支払い、10セントはただの贈り物として渡すわけです。そんなことを進んでやる経営者、あるいはそんな余裕のある経営者はほとんどいないでしょう。それが当たり前ですね。競争相手もたまたま同じ慈善に興味をもっていてくれればいいのですが、そうでなければ打ち負かされて、倒産の憂き目を見る。そんなことはご免だ。というわけで、最低賃金法は、これといった技術を持たない人たちの失業を増大させるのです。さて、技術を持たない人というのは誰でしょうか。そう、だいたいが10代の若者や黒人、それに特殊技能のない女性、あるいはしばらく職場を離れていて、また仕事に戻ることを希望しているご婦人たちです。(pp.45-6)

 自由主義者の導く結論は、「正しいのだけど直観で考えると受け入れがたい」というものが多いので、慎重に論理を追わないと理解できないのが難点です。しかし、フリードマンは軽々とその障害をクリアしてしまっている。見かけの労働者保護が逆の効果をもたらすという論証をこれほど分かりやすく説明した人を、私はほかに知りません。先日のエントリで取り上げた「派遣労働の禁止が逆に派遣労働者を苦しめる」という命題も、このフリードマンの論証から導かれる系です。(ちなみに、最低賃金の引き上げが非熟練労働者の失業率を増加させるという命題については、現在では経済学者の間でほぼ常識となっています。マンキューは8割の経済学者が同意すると言っている。)

 他にもフリードマンは、教育、文化事業に対する公的資金による援助や公共事業、公的な医療保険が全く非効率で、しかも不公平なものであることを説得的に論じています。事業仕分けや公共事業のカットに忙しい民主党の皆さんも、「敵性言語」で書かれた本だからと毛嫌いせず、読んだ方がいいですよ。

 でも一方で、インタビューでざっくばらんに本音を語るフリードマンの言葉を聞いて、私はこの人がリベラルや社会主義者から「生理的に」嫌われる理由もよく分かりました。

 フリードマンは、資本主義が道徳的だとか、社会主義より倫理的に優れているとは思っていない。資本主義は、人間社会を物欲の上に基礎づけると、確信犯的に考えています。

 物欲の上に立たない社会なんかがありますか。信じていて絶対間違いのないことは、相手があなたの利益より自分の利益を優先させようとすることだ、とは私の友人の言葉ですが、私も確かにそうだと思います。……

 ですから、社会組織上の大問題は、この誰もが持っている物欲をどうコントロールしたらよいか、どうしたら他人に与える被害を一番少なくできるか、ということです。資本主義のいいところは、それにある程度成功していることなのですね。資本主義のもとでは、一人の人間が他の人間に行使できる権力など、比較的小さなものにすぎません。(pp.91-2)

 この性悪説と言ってもいいクールで醒めた人間観が、善意ある人々にはたえられない。だから、そういう人々は、善意に溢れて知性と徳を備えた少数の人間(昔、日本ではその集団に官僚という名前がついていた)に統治を任せた賢人政治の方が公平で効率的だと考えてしまう。そしてその「少数の人間」は、もちろん自分たちのグループを指しています。

 でも、歴史が教えてくれたのは、そんな聖人君子みたいなスーパーマン、ついに地球上のどこにもいなかった、ということでした。旧ソ連にもいなかったし、東欧にも中国にも北朝鮮にもカンボジアにも、もちろん日本にもいなかった。

 天使のような人がいたとして、その手にあらゆる権力を委ねれば、確かに大いなる善をなすことが可能でしょう。ただしその善は、天使のようなその人の目から見た善です。そして人間の世の中では、一人の善が他の人の悪であることが多いのです。市場を中心に形成される資本主義社会の最大の長所は、権力の集中を阻止することによって、大いなる悪が発生することを防いでいる点にあります。(p.138)


追記:最近知りましたが、エコノミストの原田泰氏も、「最低賃金の引き上げは失業率を上昇させる」という命題を、実証データを挙げて支持しています。氏が代わりに低所得層に対する救済策として提案している直接所得補助は、負の所得税の一種で、大変効率的なものです。

 さらに一橋大学の川口・森両氏が「最低賃金の上昇は10代男性労働者と中年既婚女性の雇用を減少させる」という実証研究を行っています。この二つのグループは、まさにフリードマン最低賃金法によって打撃を受けると考えた非熟練労働者と一致します。