必勝の信念

 官僚の答弁のいい加減さも手伝って事実上プロジェクト凍結という結論が出たり、それにノーベル賞受賞者が反論して菅氏も復活を示唆したり、事業仕分けの中でも話題の多い次世代スパコン開発ですが、私も興味が湧いたので議事録を読んでみました。

 確かに文科省官僚の発言は熱意も論理性もないし、全体としてみて仕分け人の「コストパフォーマンスが悪い」という言い分に理があると思う。ただ私は、読んでいてあまりメディアでは取り上げられてない点で、ちょっと驚いたところがあります。

 問題の箇所は、「国民に夢を与える、あるいは世界一を取ることによって夢を与えることが、実は非常に大きな、これは、このプロジェクトのひとつの目的でもあり」という(おそらく)理研側の人の発言を受けて、仕分け人側が、その目的に意味があるかも怪しいけど、じゃあ一歩譲って、スパコンで世界一を目指すことが有意義な目標だと仮定しましょう、と議論を進めた、次の箇所です。仕分け人側は、当然のことながら、こう質問します。

仮に [アメリカに] 負けた場合のリスクはどうやってヘッジするんでしょうか。

 プロジェクトには、常に失敗の可能性がついてまわります。むしろ失敗する方が多いと言っていい。失敗には、「もう二度と立ち上がれないようなメタメタな失敗」から「あと一歩でうまくいったのだけど惜敗した」というものまで色々ありますが、プロジェクトを遂行する人間は、こうしたあらゆる事態を想定して、対策を練っておく必要があります。失敗したら、即座に出血を止め、失地を挽回するシナリオにスイッチしなければならない。

 それが仕分け人が「リスクヘッジ」と呼んでいるものです。「シナリオの複線化」なんていう呼び方もします。AがダメならB、BもダメならC、というように、次の手を用意しておくのです。

 そんなこと一々言われなくたって知ってるよ。受験生だって滑り止め受けるじゃない。失敗に備えるなんて仕事する上では当然のことじゃないの、と賢明なあなたは言うかもしれない。でも、この質問に対する文科省官僚の答えはふるってます。

文科省)非常に厳しいご質問でございますけれども、我々としては全力をあげて獲得したいと思っております。

 要するに負けたときのことは考えてないと暗に語っているのです。凄いね。まさに「必勝の信念」をもって戦いに臨めば「百戦百勝」と言った東条英機の精神論です。そのうちこの人、「戦う前から負けたときのことを想定しているようでは既に負けたも同然である」とか言い出すんじゃないかしらとハラハラしながら先を読みましたが、さすがにそこまでは言わなかった。まあ同じようなもんですけど。

 官僚がなぜプロジェクトが失敗したときのことを考えないか、という理由は簡単に思い当たります。失敗しても責任を取らなくていいからです。「負けちゃいました。テヘ」とごまかすか、あるいは「わが軍は連戦連勝である」と大本営発表を流すという必殺技を使えば、みんなそのうち忘れてくれる。

 またこの人たちは、もしかすると失敗することに慣れていないのかもしれない。基本的に、東大その他の優秀な大学を優秀な成績で卒業してエリートコースを歩んだ人々なので、経験によって「頑張れば成功する」という思い込みが強くなっているのかもしれない。

 事業仕分けを評して「東京裁判だね」とつぶやいた官僚がいるそうですが、この見解は確かに一面の真理をついています。本人たちも、自分たちの考え方が東条ら旧日本軍の首脳と似ている、ということを自覚していたのだ。

 事業仕分けには、大方針がないので基準が恣意的だ、印象論に流れる、という欠点が指摘されていますが、それでもやっぱりこの「見える化」の功績は大きかった。だって、予算決定のプロセスが見えなかった今までは、そういう批判やコメントだってできなかったんですから。それに、公開の場で叩かれるというリスクを負っているのは、仕分け人も同じです。間違った追及をすれば自分の評価に傷がつく。公開仕分けというのは、衆人環視のリングの上でボクシングの試合をするようなものです。

 もしこれを改善するなら、本物のボクシングの試合と同じように、最低限のルールを守らせるためのレフェリーを入れる、というのがよいと思います。昨日の世界戦のように、利害関係のない第三国の審判をつれてくるのが一番フェアでしょうが、国家行政の場に外国人を連れ込むのは、残念ながら難しいだろうな。

 12/13 追記:ここにも負けたときのことを考えないサムライがまた一人。責任を取らなくていい立場の人は本当にお気楽だ。