フリーランチとトレードオフ:岩瀬大輔『生命保険のカラクリ』

 手数料、というものをご存知でしょう。休日に銀行を利用したり、外貨両替をすると取られるアレです。もっと大きいところでは、ローンを組んだり投資信託を買うときにも取られます。この手数料は、普通は幾らかかったか分かります。しかし、日本の金融商品の中で一つだけ、手数料を教えてくれないものがあります。それが、生命保険です。

 なぜ生保の手数料(正確には純保険料とは別に取られる付加保険料)が公開されないか。それは、手数料が保険料全体の3〜6割という群を抜いた高さだからです。他の金融商品でこんな手数料取ったら客は怒り出します。生命保険会社もそれが怖いので公表しない。

 生保の付加保険料が高いのは、それだけ事業経費が高いからです。特に高いのが人件費で、大勢の保険の外交員(いわゆる「保険のおばちゃん」)を抱える保険会社は、どうしても手数料を高く設定せざるをえません。

 しかし2008年、この付加保険料を含む商品原価をあっさり公開してしまったのが、ライフネット生命という生保でした。同社が大胆な行動に出られたのは、外交員を抱えないネット生保のため、手数料を ―― ひいては保険料全体を ―― 低く抑えられる自信があったからです。本書は、そのライフネット生命で副社長を務める人物が、保険業界の内側の構造を明らかにし、賢い保険の買い方を解説したものです。立場上、ややネット生保に有利な書き方になるのはやむをえませんが、これまで一般には知られていなかった情報がよく整理されており、保険の選択に悩んでいる方なら一読の価値があります。

 以下、重要なポイントを挙げてみましょう。

  • お得な保険というものはない

 保険というのは、将来のリスクに備えて集団で保険料を積み立てる仕組みです。だから、リスクが高ければ、それだけ保険料は高く、そうでなければ低い。話はこれだけです。

 私も住宅ローンを組んでいるので団信という生命保険に入っています。一年ぐらい前、この団信の加入者の平均年齢層が上がったため、保険料も上げます、という連絡を受けました。保険というのはそういうもので、加入者集団が高齢化すれば、それだけ死んだり病気になる確率も上がるので、保険料も上げるしかない。事実、純保険料については、どの保険会社でも大きな違いはありません。

 「10年間健康ならボーナス!」のような謳い文句を掲げている保険を見ることがありますが、これは極めてミスリーディングなキャッチコピーです。実際には、その「ボーナス」は加入者の払った保険料の一部が返還されているだけで、加入者が得をしているわけではない。

 しかし、人間が常に合理的な行動を取らない、ということをうまく利用しているのが生保という仕組みの面白いところです。例えば次のような二つの保険プランを考えましょう。保障内容は同じと仮定します。

A.保険料10万円で保障のみを確保する掛け捨て型。
B.保険料20万円で無事満期を迎えたら、10万円が払い戻されるボーナス型。

 この二択を示されると、ほとんどの人は B を選ぶという。理由は、Aの「捨て」という語感にマイナスのイメージがあることと、Bの「ボーナス」という言葉にプラスのイメージがあることです。しかし、実は B は「A の保険に入った上、10万円を保険会社に無利子で預ける」というプランのため、Aより損をします。あなたは B に入るぐらいなら、Aに入って10万円は元金保証の運用に回した方がいい。理屈で考えれば「なぁんだ」という感じですが、直観で判断するとコロッとやられます。

 「保険は、掛け捨てが中心になる。決して損でもお得でもない。」(p.80)

  • サービスの違いも値段のうち

 純保険料率には得も損もないため、保険の価格に最も大きく響くのは、付加保険料、つまり各社の事業経費です。著者のライフネットのようなネットや通販系の保険会社は、そうした経費が低いため、全体の保険料率を抑えられるのがメリットですが、逆を言うと、保障内容の詳しい説明をしてくれる外交員や FP はいません。全部自分で調べて自分で判断しなければなりません。

 そういうことに時間を使うのは面倒だし、自分でライフプランを立てるのも難しい、と思うのなら、きめ細かいコンサルティングサービスを売りにするプルデンシャルやソニーといった生保を利用することも、決して悪くありません。もちろん、その分「サービス料」は上乗せされるけど、要は何にならお金を払っていいと思うか、です。それだけは買うあなたにしか決められない。契約が取れなくて悩んでいる綺麗な外交員のお姉さんの役に立って上げたいと思うなら、従来型の生保を利用するのだってありです。

 余談ですが、私は昔、ソニー生命のコンサルお兄さんにライフプランだけ作ってもらって保険には入らないという酷い仕打ちをしてしまった。ごめんなさい。でもホント必要なかったんです。それにお兄さんだってマンションのデベロッパーとグルだったし、おあいこですよね。

 日本はアメリカと違って公的医療保険が充実しています(アメリカもオバマ大統領が公的保険制度をもう少しで確立しそうですが)。そのため、民間の保険で医療保険に入らなくても、実はほとんどカバーされます。ガンなどの重病になった場合でも、高額療養費制度があるため、1月あたりの出費は上限10万円前後にとどまる。ただし、この制度はあくまで保険でカバーされる診療にしか適用されないため、自由診療となる先進医療は実費になります。それゆえ、民間保険で先進医療をカバーする保障に入っておくというのは、考えてよい選択肢です。

 また、若いうちの病気は不運なのでやむをえないとしても、高齢になれば誰でも病気の一つや二つにはなるものですから、突発的なリスクに備えることが本義の保険よりも、貯蓄で対応することも考慮すべきです。

  • 保険は若いうちに入らないと損か

 よく「保険は若いうちに入った方が得だ」という意見を聞くと思います。社会人になったばかりとき、お母さんから「あなたも社会に出たんだから、保険の一つも入らないと。入るなら若いうちのが得よ」とか言われた経験のある人、結構多いんじゃないでしょうか。

 この意見の是非は、「保険に損も得もない」という原則から考えると答えが分かります。そう、保険料に関する限り、入る時期による損得はありません。確かに高齢者の方が保険料は高いのですが、若いうちから入った人はその分長い期間、平準化して払っているだけです。

 ただし唯一、若いうちに入ることのメリットがあるとすれば、年齢がいってから病気になって保険に入れなくなる危険を回避できることです。病気を持つ家系の方は若いうちの加入を考えてよいでしょう。

  • 保険で資産形成できるか

 生命保険の機能は、死亡保障と貯蓄に大別できますが、果たして貯蓄型の保険には、他の資産運用手段と比べてどの程度のメリットがあるでしょうか。これは、私見ですがその内容を見ないと分からないでしょう。著者は、今のように低金利の時代には、バブル期の養老保険のような高利の運用(年利5%を超えていた)は期待できないので、いま低利の貯蓄型保険に資産をロックインするのは危険だと言います。まあそうかもしれないけど、でも他にウマい投資先があるかというと、そういう訳でもない。ライフネットは貯蓄型の商品を扱っていないので、これはちょっと自社有利なバイアスが入っている箇所かもしれません。

  • 自分が理解できるものだけ買う。

 上述のように、生命保険というのは、基本的には「有事にはお金がもらえる、無事な限りもらえない」という単純な掛け捨てが柱です。しかし、現在の保険商品は非常に複雑化していて、一体どんな特約がついて、どんなときに払戻しを受けられるのか加入者本人が理解できていません。それを知っているのは保険会社だけです。

 このように加入者と保険会社の間に著しい情報の非対称性が存在する場合、保険会社には加入者をだまそうとするインセンティブが働きます。その結果、加入者は不利な商品を売りつけられる危険を負う。ニュースでも時々不払い問題が取り上げられますが、この情報格差が特に大きな問題として顕在化したのが、「転換セールス」でした。

 高い利率の既契約から低い利率の新規契約への乗り換え(転換)を勧めるという、ほとんど詐欺に近い営業が生保業界をあげて行われ、1999年8月には見かねた金融庁が、転換による不利益情報の開示を義務付けるよう介入を行ったほどです。当時新聞でも大きく取り上げられたので、覚えている人も多いでしょう。

 この問題は、生保業界だけで起こるものではなく、一般的にはプリンシパル=エージェント問題とかモラル・ハザードという名前で定式化されています。子供は親の目を隠れて勉強をさぼろうとし、官僚は機構の複雑さを隠れみのに税金を無駄遣い、従業員は管理職にバレないよう仕事をさぼる。

 この問題は、依頼者(プリンシパル)と代理人(エージェント)の間に情報の非対称性が存在する場合は、ほぼ確実に生じる構造問題のため、エージェント(生保会社)の倫理性のなさを非難しても解決しません。別のエージェントへ乗り換えたとしても、エージェント側にだますインセンティブがある限り、断言してもいいけど、再発します。

 この問題に対する根本的な解決策は、プリンシパル-エージェント間の情報格差をなくすことです。つまり「自分の理解できる保険だけ買う」こと。著者は「単品主義」と言っています。特約はつけないとか、シンプルで安い共済を利用するといった手段があります。

 これまで生命保険というのは、親戚のおばちゃんに「お願い、今月ノルマきついの。入って」と言われたり、職場に来たセールスレディに「今度合コン開くから」と持ちかけられて内容を考えずに買う、という形態が多く見られましたが、昨今の不況で加入者の家計も厳しくなりました。みんな支出のどこを削るか真剣に考えているので、今までのような GNP 営業(義理・人情・プレゼント)は、難しくなっていくでしょう。



 以上、ざっと私が面白いと思ったポイントを拾ってみましたが、本書が放つ最も重要なメッセージは、最初にあげた「得な保険はない」というものに尽きます。保障範囲を広げたり、サービスを手厚くすれば価格が高くなり、逆にそこを削れば価格は下がる。保険にあるのは、そういうトレードオフだけです。フリーランチ(ただ飯)は存在しない。それは実は、保険に限らず市場経済全体の原理です。今まで日本の保険会社は、強固な規制に守られて市場での競争をあまりしてこなかったのですが、時代は変わる。これからは、加入者もトレードオフを理解したうえで、保険会社と商品を選ぶようになるでしょう。その生保新時代のガイドとして、本書はうってつけです。


 参考:本書の内容とも重複しますが、ライフネット生命のサイトでは保険の選び方についてのガイドが公開されています。まずはこちらを読むのも勉強になります。

 
 2010/02/28 追記:文藝春秋のサイトから、2010/04/15 までの期間限定で全文を無料ダウンロードできます。アンダーソンの『フリー』に倣った戦略ですね。