違法コピーを防ぐ四つのおまじない

 アンダーソンの『フリー』を読んでいたら、なぜマイクロソフトは違法コピー、いわゆる海賊版の被害に苦しむのか、という面白い問いが提起されていました。

 マイクロソフトWindows や Office は、ご存知のようにかなり高額なソフトで、正規の値段で買うと数万円の出費になります(学生は比較的安く買えるけど、それでもいい値段します)。しかし Winnyのようなファイル共有ソフトで違法コピーを入手すると、同じソフトがタダ同然で手に入る。そのため特に、コピーが悪いことだという道徳観念の薄い中国での違法コピーの横行に、マイクロソフトもホトホト手を焼いていて、最近では「宣伝になると思えば、もういいや」という諦めモードの入ったコメントを出したりしています。

 一方、同じように電子ファイルをダウンロードして販売するという同じ商売をやっていながら、アップルの iTunes が相対的には違法コピーにあまり悩まされていない(完全に問題がないわけではないけど)のはなぜでしょう。

 その理由は機会費用だ、というのがアンダーソンの見立てです。これは正しい。iTunes で音楽を一曲ダウンロードするコストは、せいぜい数百円です。このコストは、違法コピーに必要なコスト(ファイル共有ソフトをインストールし、夜な夜な自分の欲しいファイルを探すために使う時間)を下回っているため、消費者の側に、敢えて違法コピーを頑張って入手するだけのメリットがないのです。だからマイクロソフトも、コピーガードの仕組みに力を注ぐより、Office を 100円で売れば違法コピーは根絶できます。もっと過激にやるなら、無料するという選択肢もある。もちろんその場合、他の場所で開発コストを回収する仕組みは必要になります。

 このように、正規品の価格を下げることは、違法コピーの防止に大きな効果があります。これは、レッシグが挙げた、人間の行動を制御する四つの方法(法律、規範、市場、アーキテクチャ)のうち、市場による操作です。残りの三つもあわせて整理すると、こうなります。

  • 法律:違法コピーを禁止する法律を作る。どの国でもこれはあるけれど、現実に効果は上がっていない。その理由は、違法コピーが密室で行われるので、摘発が難しいからです。
  • 規範:違法コピーは悪いことだ、という道徳観念を消費者に植えつける。これも先進国はどこでもやってるけど、なかなか浸透しない。おまけに、中国みたいに儒教の影響で、伝統的にコピーが悪いと思わない文化圏では効果がない。
  • 市場:正規品の価格を違法コピーにかかるコストより低く設定して売る。これは効きます。ものすごく効く
  • アーキテクチャ:コピーガードやライセンスキーのように、仕組み上コピーを利用できなくする。効果はあるけど、仕組みを作るコストも高い。またハッカーとのいたちごっこを延々繰り返すことになる。


 このうち、一番お手軽で効果も高いのが市場、つまり価格の操作です。マイクロソフトとアップルの事例も、これを裏付ける結果になっています。違法コピーと正規品は、モノとしては最後の1ビットまで同じ電子データなので、消費者は安い方を選ぶに決まっている。

 市場の長所は、法律や規範を尊重する気のあまりない「ワルい人々」の行動も効果的に制御できることです。ちょっと話は飛びますが、いま日本はこの手段を使って禁煙を促進しようとしています。そう、たばこの増税ですね。

 愛煙家というのは、規範による締め付けを厳しくしても「タバコで健康を損なうのは個人の自由だ」、「禁煙ファシズムだ」と頑固に吸い続けるものらしく、むしろ逆効果です。小谷野敦氏や太田光氏を見ていると、この人たちを規範に訴えて説得するのはまず無理だと分かります。でも、タバコの値段が上がれば、多くの人は買い控えるようになる。5000円/箱ぐらいまで吊り上げれば、実質的に日本総禁煙が達成できるでしょう。その点で、健康増進のために増税を図る政府の方針は基本的に正しい。

 基本的に、と留保つきなのは、たばこがあまり高くなると、その代替財の消費が増える可能性があるからです。ちょうど Office の正規品の値段が高いと海賊版の消費が増えるのと同じように。たばこの場合、おそらく代替財は酒と麻薬です。たばこを禁止したら麻薬常用者が増えたのでは、たばこ増税は全く正反対の結果になり、本末転倒になる。