見えないものを見る力:大竹文雄『競争と公平感』

 日本は、社民党共産党のような社会主義政党が与党になった経験の少ない国です。あるとしても、鳩山内閣における社民党のように、連立政権における小党という位置づけで、こうした政党が国策全体に及ぼす影響力は大きくありません。実際、歴史的に見ても、日本はロシアや東欧のような極端な社会主義政権による被害を受けたことがない。こうした事実だけを見ると、日本人は、全体としては資本主義と市場経済を是として、そのメリットを享受してきた、という評価を下したくなります。

 ところが、意識調査の結果を見てみると、人々の考え方が上のような事実とは、かなりかけ離れていることが分かります。ピュー研究所が実施しているグローバル意識調査における「自由市場によって人々は豊かになるか?」という問いに対する日本人の答えは、「イエス」がわずか 41% (2009年)。この低い数値は、ここ数年ずっとそうで、2007年でも市場経済に肯定的なのは 49% しかいない。これは、インドや中国といった、今まさに市場経済のおかげで急速に豊かになっている国の8割という高さと比べればもちろん、ドイツ、イギリス、アメリカといった先進国の6割超えという高さと比べても、顕著な低水準です。

 ここから分かることは、日本人の過半数は、市場での自由競争が嫌いだということですが、じゃあ国家が積極的に弱者救済の役割を果たすことを支持するかということ、これもまた当たっていない。日本でそれを支持する人の割合は、6割程度。過半数は超えているけど、世界的に見るとやはり低い。つまり日本という国は「市場経済への期待も国の役割の期待も小さいという意味でとても変わった国」(p.8)なのです。

 日本人が自由市場における競争も、国家のセーフティネットにも期待しないのはなぜでしょう。前者に関して言えば、日本では市場経済がうまく機能する環境がない(と多くの人が思っている)のが大きいのではないか、と著者は言います。

 運やコネといった実力や努力以外の要素によって結果が決まる世界においては、そもそも公平な競争が成立しません。そういう世界では、建前としては自由競争を謳っていても、実際には競争する前から勝負はついてしまっているので、人がわざわざ競争することにメリットを見出さないのは自然です。「市場経済とは金持ちのための社会主義を意味しているのではないか?」という疑念を抱いている人は、日本人には決して少なくない。そこにあるのは、社会の制度全体に対する不信感です。

 こういうとき本来なら、公平な競争を担保するため、参入障壁をなくして競争を厳しくし、再参入(再チャレンジ)が何度でもできるよう制度を改善することが解決策になりますが、日本は自由競争そのものを悪として全否定してしまう方向に進む(私は、こうなる理由は、日本が社会主義によって痛い目にあった経験がないので、「社会主義は絶対悪だ」という共有前提がないせいだと思います。「日本は市場経済を空気のようなものだと思って、ありがたみを理解していない」という著者の言葉は的を射ている)。

 しかし、そうした市場主義の全否定は、結果的には、現在の不公平な制度によって不利益を受けている「本当の弱者」をさらに不利にし、反対に規制で守られている既得権層を有利にする、本末転倒の道でしかありません。

 「本当の弱者」とは誰か。それは、著者もインタビューで述べているように、市場の競争に入れてもらえない人たちです。就職氷河期によって労働市場に参入できない若者、グラスシーリングによって出世の機会を阻まれる女性、仕事内容は同じなのに、正社員との理不尽な身分格差によってリスクの高い低賃金労働に甘んじなければならない派遣社員。こうした人々はみな、本当の自由競争が存在しないことによって苦しんでいる。本当の弱者は、競争に敗れることすら許されないのです。

 しかし、その苦しみは「機会の損失」という非存在の形でしか現れないので、観察しても見えません。先駆的な自由主義者だったフレデリック・バスティアは、こうした目に見えない苦しみをずばり「見えないもの」と呼びましたが、それだけに、この損失は、論理によってしか認識することができません。これは「裸の王様」のシャツと同じで、馬鹿には見えないのです(著者は上品だからそんな言葉遣いはしませんが、私は下品なので言っちゃう)。

 一方、規制緩和と競争激化によって損失を被る人たちの場合、その損失は目に見えます。リストラで職を失う正社員も、JAL が破綻して年金を失う高齢者も、その被害は誰にでも分かりやすい。それは、損失が「今もっている物を失う」という目に見える形で現れるからです。だから、感覚だけに頼っていると、こうした「見えるもの」にだけ目を奪われて、見えないところに巣食う病魔を見逃してしまう。これが経済問題の怖さです。経済は、見えるものと見えないものの二つのパートから成り立っています。人間の体が皮膚や顔といった目に見えるパートと、内臓や血管のような目に見えないパートから成り立っているように。そして、その全体としての健康はどちらも、見えるものよりは見えないものにこそ左右されるのです。

 本書は、見えないものを見るための力 ―― それを論理と呼ぶのですが ―― を養うのにうってつけの入門書です。経済学の最新の研究成果を取り入れつつ、それを祝日の数や禁煙、出産など身近な問題を使って解説する手腕は、熟練のもの。もし義務教育に「経済」という科目が新設されたら、本書は教科書第一号になるに違いありません。