過剰な世界の倫理学:堀江貴文『拝金』

 奢侈、浪費、淫乱 ―― そして拝金。歴史上ほとんどの期間のほとんどの場所において、こうした人間が持つ強欲やエゴイズムは、倫理的に非とされてきました。人類はその生活の 99% の時間を圧倒的な欠乏の中で生きてきたため、私たちの「古い脳」には節制や禁欲を美徳と感じ、強欲を悪徳として忌避するプログラムが埋め込まれている。多くの共同体や宗教も、人類を存続させるために長い歴史の中でそのような倫理規範を確立してきました。仏教キリスト教もエゴイズムや奢侈を否定しているし、強欲な金貸しは洋の東西を問わず悪人のステレオタイプです。これは、人類の存続という目的を考えた場合、非常に合理的な戦略です。アーミッシュの老人がドキュメンタリー番組のインタビューに答えて「共同体にとっての最大の敵はエゴだ。私利私欲は捨てなければならない」と言っていましたが、その認識は正しい ―― 少なくとも有史以来 99% の時間においては。

 人類が物資の慢性的な欠乏状態から抜け出し始めたのは、産業革命後のことです。爆発的な生産力の増大の成功が、王族など一部の人々以外の人々にも、物質的に余裕のある生活を可能にした。このことは、人間の生活から思想に至るまで大きな影響を与えましたが、中でも注目すべきは、人類が史上初めて大っぴらに欲望とエゴイズムを解放することが可能になったことです。従来であれば、そんなことをすれば即、共同体ごと滅亡の危機に瀕してしまったことを考えれば、これがいかに革命的なことか分かります。しかも二重に驚いたことに、同じ時期に経済学は、個人のエゴイズムを抑えるよりも解き放った方が、社会全体として生産性が高くなり、人類はますます豊かになるという事実を見つけてしまった。ここにおいて、エゴイズムと強欲は悪徳リストから抹消される権利を得たのです。

 しかし、私たちの遺伝子は、環境の変化についていけるほど速く変化しません。だから、十分に豊かな社会に住んでいる今でも、私たちは古い倫理に縛られ、ほとんど本能的にエゴイズムに警戒と嫌悪感を感じてしまう。かつて著者や村上世彰氏が、拝金を全面肯定する価値観を引っさげてメディアに登場したとき、メディアは徹底的に古い悪徳リストを使って彼らを倫理的に攻撃し、しかもそれはかなりの効果を挙げた。リストはまだ生きているのです。

 でも、本当は倫理は環境に相対的に決まる生存ヒューリスティクスでしかない。本書の中には、ヒルズ族の成功者たちのパーティで、高価なワインをチャンポンにしてわざと不味くして飲むという遊びが出てきます。「良識」ある人は、この遊蕩に眉をひそめるでしょう。しかし、その理由は明らかに、「チャンポン」という行為ではなく、「ワイン」という物資の側にあります。これが例えば、「色んな気体(窒素、ヘリウム、酸素、二酸化炭素)をチャンポンして吸う」という遊びだったら、誰も咎めたりしないでしょう。その遊びを、私たちは普段からやっている(遊んでいることに気づいていないが)。ワインのチャンポンが批判されるのは、ワインが希少な財だからです。もし仮に、空気がとても貴重なSF的世界を想像すれば、空気をいたずらに浪費する種々のスポーツが、その世界の悪徳リストに登録されるでしょう。

 この思考実験から分かるように、ある資源に対する強欲や浪費が悪徳とみなされるかどうかは、その資源の希少性に依存します。だから、資源が過剰な場合は、それを強く求めても誰も咎めません。ちょうど私たちの世界で空気をいくら吸っても咎められないように。それは共同体の存続に何ら関係しないからです。著者の強欲を生理的に嫌いな人は少なくないが、そういう人は実は、豊かな世界の新しい倫理を嫌っているのです。

 ところで、著者が日本社会、特に既存のエスタブリッシュメントから憎まれたのには、もう一つ理由があります。それは、本書でも雄弁に語られているように、彼が電波利権という虎の尾を踏んだからです。電波帯域というのは、土地と同じで限りある資源です。だからそれは、本来ならば欧米で実施されているオークションのように、オープンかつ効率的な割り当てを行う必要がある。でも日本では長らく、政治とメディアの癒着によって TV 局に不当に電波が割り当てられてきました。これは官房機密費問題と並んで、テレビでは絶対に放映されないニュースです。そこで著者は、既得権に安住するテレビ局を平等な戦場に引きずり出して、殴り合いをしようと試みた。これは、自分も殴られるリスクがあるかわりに、相手をノックアウトすることも可能な真剣勝負です。そして既得権層が最も嫌うのが、この真剣勝負というやつです。結果、周知のように著者はリングに上がる前にライセンス剥奪という形で葬り去られることになった。

 本書は、著者のライブドア時代の実体験をもとに、青春特有の勢いある疾走と挫折を描いた成長物語です。その点で、小説の構成としてはスポ根なんかの古典的なビルドゥングスロマンと変わりません。ただ、なんと言っても「スポーツ選手」や「立派な社会人」とかじゃなく「拝金主義者」として成長するところが面白い。ちょっと福本伸行『銀と金』に雰囲気が似ている。

 なお、紙の書籍で買うよりも iPhone 版の電子書籍の方が値段が安いので、iPhone を持っている人はこちらを勧めます(私もそれで読みました)。iPad 対応はまだ未定とのことですが、iPhone の画面でもストレスなく読めます。