共働き夫婦の生きる道:『ちょんまげぷりん』

 本日は朝から有楽町のイトシアで映画『ちょんまげぷりん』を観てきました。ともさかりえのシングルマザーSEの好演が光る、よくまとまったコメディーでした。錦戸君は以前見たときはゾクゾクする DV 野郎の役が素晴らしかったけど、清廉な武士も似合っていた。

 タイムトリップという意匠を剥ぎ取ると、この映画のテーマは「共働きの夫婦はどうやって家事や育児を分担すればいいか」という極めて現代的なものです。ひろ子さん(ともさかりえ)は有能な SE として、安兵衛(錦戸亮)は前途有望なパティシエとして、着実にキャリアを築きつつある。そのため自然、生活は仕事中心となり帰宅は毎日深夜。家事や育児に割くための時間は不足し、家族関係がギスギスしてきてしまう。

 私の周囲にも、今まさにこの問題によって離婚の危機に瀕しているカップルがいますが、これは共働き夫婦の多くが陥るアポリアです。この難問に対する最も安易な(しかしそれなりに有効だった)解決策は、どちらかが仕事を辞めハウスキーピング(安兵衛の言葉を借りるなら「奥向きの仕事」)に専念することです。実際、安兵衛がお菓子作りの才能を開花させるまでは、ブラブラしていた彼が主夫を務めることで、遊佐家はうまく機能していた。かつての日本では、女性が専業主婦となることでこのアポリアが回避されていたこともまた、周知の事実です。

 しかし、現代の労働市場では女性も男と同等の「お役目」を得ることができるようになり、共働きという形態が一般化することで「奥向きの仕事」の担い手がいなくなりました。特に、日本では一度キャリアに穴を空けると復職が非常に難しいという制限条件があるため、「ちょっと一休み」して育児に専念することが難しい。この条件は女性側の方がより厳しいため、男が無神経に「君もそろそろ仕事辞めて家に入らないか」とか言ったりしようものなら、その男は分別ある大人の女性が火を吐くドラゴンに変身する瞬間を見ることになります。劇中でも安兵衛が軽はずみにこの台詞を口にして、一度は三行半を突きつけられていた。

 映画では、最終的に二人は家族としての絆を再確認することで復縁します。しかしその絆は ―― それは愛と呼んでもいいのかもしれないけど ―― 生活上の困難の前にはせいぜい一時の痛み止めぐらいにしかならない。安兵衛が過去に戻ることで「ハウスキーパー不在問題」との直接対決は回避されたまま、物語は消化不良な終わり方をするのですが、現実の共働き夫婦は、否応なしにこの問題に取り組まなければならない。そこで私もない知恵絞って、もし安兵衛があのまま現代に留まっていたとしたら、どんなソリューションが可能か考えてみました。

 まず最初に、自動掃除機のルンバ君を買います。そして次に食洗機のミーレちゃんを買います。おっと、忘れてはいけない。もちろん乾燥機つき洗濯機も必須です。夜間にも回せる静音型がベストです。遊佐家にはこれらのいずれも装備されていなかったようなので、早急に手を打たねばなりません。これによって家事に割く時間を大幅に軽減できる。遊佐家の世帯年収はおそらく 800万はいくはずなので、住宅や車のローンがなければ十分可能な投資です。

 しかしこれだけではまだ育児の問題が解決されていません。こっちは機械による自動化ができないため、家事より難しい。機械に頼れないため、基本的な解決策は、ベビーシッターを雇うというアナログなものにならざるをえません。安兵衛チックに言えば「乳母」です。このソリューションは既に洋の東西と時代を問わず実績があり、現代でも欧米の中産階級ではよく利用されています。『デス妻』のスカーボ家や『ER』のコバッチュ家でも一時期採用されていた。日本ではまだあまりプロとしてのシッター市場は成熟していないようですが、需要はあるのだから、これからの成長産業でしょう。

 ただし、このソリューションにはシッターさんと旦那がデキてしまうという副作用のリスクがあるため、採用には注意が必要です。この心配がなく、かつ費用も低く抑えられる代替案として、両家の親を利用するという方法も考えられます。これを利用するためにわざわざ実家の近くに新居を構えるというカップルもいるぐらいです(私の経験上、やはり妻が頼りやすいからか、女性側の実家が選ばれる傾向が多いように思う)。ひろ子さんの実家がどこかは描かれていなかったけど、もし東京近郊なら一考の価値ありです。

 総論として、共働き夫婦にとって最も貴重な資源は時間であるため、時間をお金で買うという戦略が基本的には正解になります。こういう細部まで詰めてくれたら、時間のやりくりに悩む多くの夫婦にとって有益な映画になったと思うので、ちょっと残念。そんなわけで評価は星三つ。錦戸君の「三十三でござるか!」と言ったときの迫真の演技でプラス星半分。合計三つ半。