論理はいかにして空気に敗れ去ったか:猪瀬直樹『昭和16年夏の敗戦』

 かつて、日本の皇室が同時に二つ存在していた時期があることは、広く知られています。南北朝時代と呼ばれる50年ほどの期間で、歴史の授業で習うので皆さんもよくご存知でしょう。では、日本に内閣が同時に二つ存在した時期があることは、知っているでしょうか?

 時期は昭和16年。日米開戦を間近に控え、国際情勢は日増しに緊迫感を強めていたときです。二つの内閣のうち、一つは第3次近衛内閣。アメリカとの激突を回避するわずかな可能性を模索するも、強硬論に押されて三ヶ月で瓦解する短命な内閣です。そしてもう一つが、「窪田角一内閣」。歴史の教科書には登場しない幻の内閣です。

 この内閣が「組閣」されたのは昭和16年7月12日。きっかけは総力戦研究所という、今で言う政府系シンクタンクに集められた若手官僚たちの教育のため、戦争のシミュレーションを行ったことでした。集められたのは官僚や民間企業、軍隊などで10年ほどの経験のある中堅27名。平均年齢33歳という若さでした。彼らは、いずれも後の日本の各界を背負って立つことを期待されるエースであり、実際「日銀総裁」役を演じた佐々木直はのち本当に日銀総裁になるし、「企画院総裁」玉置敬三は東芝社長になる。疑いなく、当時の日本が望むことのできる最高の陣容でした。

 彼らは連日「閣議」を開き、日米開戦の是非、開戦した場合の日本の勝算について議論を交わしました。英米は必ず日本に対する禁輸措置を取ってくる。その場合、南方に進出することで資源を確保することは可能か。輸送の安全はどうやって確保するのか。日米では圧倒的に保有する物資の量が違うが、長期戦になった場合の勝算はあるのか。捕虜の扱いは? そもそも、日本は「戦後」のことをどう考えればいいのか……。

 こうした数々の想定問答を考えていた、という点では、近衛内閣も窪田「内閣」も真剣さは変わりませんでした。しかし、窪田「内閣」には二つの大きなアドバンテージがありました。一つは、彼らが実際の政府が囚われていたしがらみから自由に思考することができたこと。彼らは突然自分の組織から引き抜かれてつれてこられたので、別に自分の組織に気をつかう必要がありませんでした。つまり彼らは「空気」を読む必要がなかったのです。

 空気を読まなくてよい場合、議論を支配するのは論理と数字です。そしてここが二つ目のアドバンテージですが、彼らは高い教育を受けたエリートであるため、論理と数字にきわめて強かった。物事を定量化して考える習慣が身についており、曖昧な精神論に傾くことがありませんでした。「企画院総裁」の玉置敬三はこう言っています。

物資動員計画には陸海軍からも出向してきていた。彼らと一緒に物動計画の作業を毎日やっていたから、鉄とかアルミニウムの製造能力がどのくらいなのか頭に叩き込んであった。それを5倍にしたり5分の1にしたりすることは、やれ、といってもできない。

 彼らが試算した数値は精度が高く、昭和17年度と18年度の予想平均船舶損失量は、現実のものとほとんど一致したほどです。こうして「内閣」は一つ一つ事実から論理を積み上げて、あらゆる観点から日本に勝機がないことを明らかにしていきます。最終的に彼らの出した結論は、「戦争は長期戦となり、南方からの石油は届かず、備蓄も尽きる。最後はソ連が参戦して日本は負ける」という、史実を先取りする正確さでした。こうして昭和16年8月23日、窪田内閣は「総辞職」を決意。シミュレーションは幕を閉じます。「組閣」から40日後のことでした。

 それから数日後、窪田たち研究生は、本物の近衛内閣の閣僚たちを前に首相官邸でシミュレーションの結果報告を行うことになります。彼らの「閣議報告」は終日に及び、出席していた閣僚の中でも東條英機陸相は真剣な面持ちで耳を傾け、メモを走らせていました。東條はまた、研究所にもたびたび足を運び、シミュレーションの現場も何度か視察するほど、この若い研究生たちの議論に格別の関心を持っていた一人です。

 研究生たちが「日本必敗」という結果報告を終えた後、その東條から発せられた言葉は、予想外のものでした。いわく――「諸君らの議論は机上のものであり、現実の戦争は計画通りには行くものではない。予想外の要素によって勝つこともあるのだ。この結果については、決して口外してはならない。」

 自分たちの意見が容れられなかった研究生たちは、帰途で考えます。東條陸相は、論理も事実も解さない全くの愚物なのだろうか? いや、おそらくそうではない。もし本当に日本の必勝を信じているなら、口外するな、などとは言わず一笑に付すだろう。おそらく東條さんが辿り着いた結論も、我々のと近かったのだ。だからこそ、その結果を言えずにいる……言えない「空気」があるのだ。

 日本が敗北したのは、史実では昭和20年8月15日です。しかし、実質的に敗北が決まったのは、昭和16年8月の、この瞬間でした。後の4年間、日本は「想定の範囲内」のシナリオに沿って、淡々と消化試合を行い、論理的に定められたとおりの敗北を喫しました。それにより、日本を支配していた軍部はなくなり、帝国も瓦解したのですが、日本の本当の支配者である肝心の「空気」という化け物だけは、いまだ無傷で居座って日本人の心を縛っている。私たちはまだ、この怪物に勝つことができずにいる。

 本書は総力戦研究所と研究生たちがいかに真摯に状況を見極め、精密な予測を行ったかを克明に追ったレポートです。そして同時に、論理が空気に敗れる過程を描いた最高のレポートでもあります。ただ、詳細すぎるがゆえに少し読みにくいきらいもあるため、初めて読む人は本書のダイジェスト版である『空気と戦争』もおすすめです。