あの輝きをもう一度:小沢一郎『日本改造計画』

 日本の政治家の書いた本はつまらない、とよく言われます。論旨不明瞭でどんな政策を訴えたいのか分からない、脈絡のないエピソードの継ぎ合わせだ、と。しかし、政治家の本にも、読んで面白い例外が二冊あります。それが、著者の師である田中角栄の『日本列島改造論』と、本書『日本改造計画』です。タイトルからも分かるとおり、この2冊は互いに対になっています。田中は『日本列島改造論』において「国土の均衡ある発展」を主張し、公共事業によって都市から農村への所得移転を行う、社会主義的なバラマキ路線の地歩を固めました。これは決して効率的なシステムではありませんが、経済成長著しい時代には十分機能し、多くの国民に満足感を与えました。

 一方、著者の『日本改造計画』が書かれたのは1993年。田中的な薄く広く資源を配分するシステムが行き詰まりを露呈していた時期です。本書の主張は、徹底した自由主義への転換によって、田中の作り上げたスキームをひっくり返し、日本を再生させることでした。

 本書は、非常に有名になった「グランドキャニオンの柵」の逸話から始まります。アメリカの観光地として有名なグランドキャニオンは、切り立った非常に危険な崖なのに、柵がない。係員が注意することもなく、旅行者は自己責任で自分の身の安全を確保することが求められる。もし日本の観光地で同じことをやって、事故が起きたら観光地の責任者は世間から轟々たる非難を浴びるだろう。

だから日本の公園管理当局は、前もって、ありとあらゆる事故防止策を講ずる。いってみれば、行動規制である。観光客は、その規制に従ってさえいれば安全だというわけである。
 
大の大人が、レジャーという最も私的で自由な行動についてさえ、当局に安全を守ってもらい、それを当然視している。これに対して、アメリカでは、自分の安全は自分の責任で守っているわけである。

 本書は、このような自由主義個人主義の立場から、日本の抱える諸問題に対して明確でロジカルな回答を次々と打ち出していく、日本の政治家には稀有な本です。首相官邸機能の強化、与党と内閣の一体化による脱官僚主導、保護主義の打破と自由貿易の推奨、減税と小さな政府、規制緩和と自己責任のルール……。

 しかし、2010年のいま本書を読むと、感銘を受けると同時に、強い違和感をも感じることになります。現在の小沢氏は、国民の生活重視のスローガンのもと、田中角栄が甦ったかのようなバラマキ政策を主張しており、とても同じ人物とは思えないからです。そのあまりの落差ゆえ、ゴーストライター説が出るぐらいです。もし、本書を読んだことのない人を対象に、著者名を伏せたまま読んでもらって、その後に「これを書いたのは誰か」という質問をしたらどうなるでしょう。私は、最も多く挙がる名前は、小泉純一郎だと思います。

 事実、本書に書かれている内容と、小泉内閣で実施された政策とは重なる部分が多い。首相の権限と官邸機能の強化による政治主導は、経済財政諮問会議を活用した予算編成権の奪取として結実したし、構造改革特区による様々な規制緩和が行われました。民主党自民党というライバル同士でありながら、両者は自由主義的な志向を持つという点で、むしろ共通の同志に見える。

 また、現在においても小沢氏はFTA締結を主張するなど自由主義者の片鱗を見せることがあります。本人も「私は改造計画の頃から変わっていない」と断言している。確かに、政治家が選挙のときに必ずしも本音を語るわけではないので、バラマキ政策は労組や農協など集票団体からの支持を得る手段と割り切っているのかもしれないし、あるいは片山さつき氏が語るように、自由主義こそ見せかけで「本質は田中角栄的な利益誘導」なのかもしれない。どっちが正解かは、本人にしか分かりません。

 いずれにせよ、民主党の代表選に小沢氏が出馬したことで、国政レベルにおける日本の将来には、大きく三つのシナリオが用意されることになりました。
 一つは衰弱死シナリオ菅首相勝利して引き続き政権を運営するケース。この場合、悪化する経済と膨らむ債務をどうにもすることもできず、じわじわと日本は衰退していきます。各省庁に1割程度のシーリングを要求した来年度予算の概算要求は、蓋を開けたら過去最大の96.7兆円になりました。霞ヶ関が一丸となって節約しても予算が増える秘密は、社会保障費が増え続けているからです(要求では27兆円を超えた)。これでは効果ありません。たとえて言うなら、マンションが火事になっているのに、火を噴いている部屋は放置して関係ない部屋に水をかけているようなものです。しかし、火を消そうとしても、支持者である高齢者が「火を消すな。もっと燃やせ」と言う限り、菅首相に消すことはできない。それは支持者への裏切りだからです。

 二つ目の道は、小沢氏が勝利して首相に就任し、今以上のバラマキ路線を突き進む道。この場合、日本のクラッシュはシナリオ1より早いタイミングでやってきます。政府債務は1000兆円を超え、国債金利は上がり、政府が待ち望んでいたインフレがやってくる。うまくいけばその炎は赤字を焼き尽くしてくれる……かもしれないけど、果たしてその炎を制御できるかどうか、誰にも分からない。もしかすると日本が焼け野原になるまで止まらないかもしれない。名づけて焼け野原シナリオ

 そして最後の道は、やはり小沢氏が勝利して首相に就任し、かつ昔の自由主義者に戻るケース。これは言わば、小泉内閣の路線を継承する第二構造改革シナリオです。郵政や行政法人を完全民営化し、解雇規制を緩和して労働市場流動性を高める。FTA も積極的に締結して自由貿易を促進する。同時に年金を賦課方式から積立方式に変えて、社会保障を原則自己責任とする。積極的に減税を行い国家機能を縮小する。自由主義個人主義が不人気な日本では可能性の低い道ですが、それでも現役世代からの支持は得られると思う。今でも小泉元総理は若い世代から高い人気を誇りますが、それは彼が歴代首相の中で相対的に自分たちの味方をしてくれたのだから当然です。新聞やテレビでは菅首相の支持率が高いのに対し、ネットでは逆転する現象が見られるのも、ネットの主なユーザ層である若者が、第二か第三のシナリオしか自分たちの生き残る道はないと知っているからでしょう。別に謎でもなんでもない。

 民主党代表選は9月14日。もう少しで、日本がどの道を辿ることになるのかの審判が下されます。その意味では、民主党が政権を取った選挙よりも日本の針路を大きく左右するかもしれない。私はもちろん小沢支持。第三のシナリオを期待するほど夢見がちな歳ではないけど、それでも衰弱死よりは焼け野原の方がまだ希望がある。