『Economist』:仕事、楽しんでますか?

 最近では、多くの企業が楽しさの強迫観念にとり憑かれている。シリコンバレーのソフトウェア企業は入り口にロッククライミング用の壁を設置し、オフィスには動物型のゴム風船を置いている。ウォルマートは、レジ係に誰彼なく笑いかけるよう命じている。このところ、楽しさに対する崇拝は、まるで疫病みたいに広まっている。あるIT企業は「主任娯楽官」なる役職を発明した。カナダの銀行は、業績の良かった社員に「驚きと喜び」を与えるためコスプレしたコンパニオンを派遣する「うひょー」という名前の部署を持っている。ある飲料メーカーのロンドン・オフィスには滑り台が設置された。

 これらが意味することは、楽しむことそれ自体が、仕事とみなされるようになったということだ。このムーブメントの自他共に認めるチャンピオンは Google である。その職場にあるもの:バレーボール・コート、サイクリング道、黄レンガの道、恐竜のプラモデル、ローラーホッケー、プロのマッサージ師。だが最近、この王者への挑戦者が二人現れた。Twitter と Zappos (オンラインショップストア) である。

 Twitter のウェブサイトは、自分とこの会社がいかにカブいているかを強調している。また同社は社員を幸せにするための専属のチームがいて、彼らは例えば、暑い日には冷たいタオルを配ってまわる。Zappos もまた、そうした「楽しくてちょっと風変わりなこと」を考案するのを企業価値のコアの一つだと自慢している。社長は、自ら労働時間の 10% を、彼が「幸福の科学」(※日本語だと違う意味にとられてしまうが、宗教団体とは関係ないです、多分)と呼ぶものの研究に割いている。彼は冗談めかして、「昔わが社はウォルト・ディズニーを訴えていたんだ」と言う。「地球上で最も幸せな場所、というあのフレーズはわが社にこそふさわしい。」

 こうした楽しさに対する崇拝は、経営における三つのよく知られた流行から生まれた。能力の付与(empowerment)、仕事への没頭(engagement)、創造性(creativity)である。多くの企業が、一線で働く従業員の能力を開発していると胸を張っている。しかし研究によれば、「仕事に没頭している」従業員は 20% にすぎず、創造的な社員はもっと少ない。経営者は、「楽しさ」は社員に欠けているこの二つの属性を強化してくれる魔術じゃないかと期待したのだ。ところが問題は、楽しさというのは、それが企業戦略の一環になるや否や、楽しくなくなることだ。せいぜい無意味な儀式か、最悪のケースでは退屈な強制になる。

 そう、この楽しさの流行で最も不愉快なことは、それが大規模な強制とセットになっていることだ。Zappos は、変人であることをただ祝福するだけではない。彼らはそれを求めている。強制された楽しさというのは、いつだって人に嫌悪感を引き起こす。「楽しさ」という仮面の裏に透けて見えるのは、冷徹な経営的思考だ。企業はライバルよりブランド力を高めたいと願い、チーム力を上げることで生産性を上げたいと考えている。

 社員に人工の楽しさを課す一方で、企業は本物を相手に戦っている。喫煙者は人目を忍ぶ犯罪者のように屋外へ追いやられているし、昼食のときにアルコールを飲むことを許す企業はまずない。法律顧問から人事部にいたるまで、お節介焼きどもは社内恋愛に戦争を仕掛けている。職階の違う社員同士のそれは特に目の敵にされている。HP は最近、優秀な CEO のマーク・ハードを、契約者からセクハラを仄めかす訴えがあった後クビにした。その事件は結局穏便に解決されたのだが(そしてライバルの Oracle がサッとハード氏をかっさらった)。

 贋物の楽しさを売る商人は、レジスタンスの抵抗にもあっている。ウォルマートがドイツのスタッフに微笑みの強制と同時に社員同士の恋愛を禁じるルールを課した後、同社はゲリラ戦に引きずり込まれることになった。そしてその戦いは、2006年にドイツから撤退を公表するまで続いた。だがゲリラが勝利することは稀だ。ほとんどの賃金奴隷は、仕事を楽しんでいるフリを強制されなければならない。唯一の慰めは、看守をからかうことぐらいだ。