『Economist』:普遍的価値をめぐる闘い

 中国の民主活動家、劉暁波氏へのノーベル平和賞授与決定に際して、中国がノルウェーに対抗措置を取ったことは、改めて、中国が西欧的な社会原理を簡単に受け入れるつもりがないことを、世界に示しました。自由、民主主義、人権 ―― こうした西欧由来の概念は、歴史的に中国が一度も持ったことのないものだし、支持するつもりもない。また確かに、これらの概念が、欧米の指導者たちが信じるほど普遍的かどうかも、決して証明されたわけではありません。今でも冷静に世界を見渡してみれば、民主主義が上手く作動している国は、そうでない国より少ない。100年後から振り返れば、民主主義や人権なんて、特殊西欧的な「ローカル」概念に過ぎず、アジアには根付かないまま終わりました、という歴史の教科書が書かれる可能性も、ないではない。

 欧米はこうした概念は世界中どこでも通じる普遍的価値だと主張して、民主主義を世界中に広めることに情熱を燃やしています。オバマ大統領は劉氏を「万国共通の価値を平和的に推進する勇気あるスポークスマンだ」と賞賛しました。彼にとって、民主主義や人権が「万国共通の価値」であることは、疑いを容れない真理です。一方、中国にしてみれば「おいおい本当かぁ、それ? こっちじゃそんな話聞いたことねえぞ」となる。

 実際、聞いたことないわけだし。

 中国の伝統的価値観に従えば、個人の権利よりも社会全体としての調和とモラルの維持が優先されるので、そのためには個人の権利が制限されるのは仕方ない。お節介な欧米に対して、「ウチはずっとこのやり方でやってきたんだ。余所者に口はさんでほしくないね」というのが中国の言い分です。「何でお前らが決めたルールが正しいって言い切れるんだよ。お前ら、昔もそうやって勝手にキリスト教押し付けてきたよな。他の宗教は邪教だとかぬかして。あと、先住民や黒人もたくさん殺したよな。あいつら人間じゃないから人権ないし、とか言って」

 ただ、リンク先の記事も伝えるように、最近は中国内部も一枚岩ではなくなってきている、というのが、事情の複雑なところです。ガチガチの保守も根強いが、経済界や政界の要人たちの間にでさえ、西欧的価値観の支持者が徐々に増えている。2007年に「科学、民主主義、法の支配、自由、そして人権は、資本主義だけの特殊なものではなく、長い歴史を通して人類全体が追い求めてきた共通の価値である」と言ったのは、ほかならぬ温家宝首相です(この人は「社会主義体制は100年続く」とも言ってるけど。政治家の、特に中国人のそれの真意を測るのは難しい)。

 中国は、自分たちが偉大な文明を築き上げてきたのだという自負を持っているし、それが誇るに足るものであることは、隣りで見てきた我々もよく知っています。中国が、われこそ普遍的価値の担い手なのだと主張するのも、その歴史を見れば不自然ではない。問題はその価値の中身が西欧と中国で一致しないし、中国内部でも揺れていることです。中国が国際社会の中でうまく振舞うことができるかどうかは、この問題をめぐる中国国内の論争の帰結にかかっている。