神の見えざる脳:ジェームズ・スロウィッキー『「みんなの意見」は案外正しい』

 集合知という概念は、現在では非常にポピュラーなものになりました。特にインターネット上では、ユーザがコンテンツ作成のプロセスに関与する Web2.0 の仕組みを正当化する重要なアイデアです。そして実際、集合知がかなり機能することも、多くの事例から実証されています。Wikipedia食べログのようなユーザの知識や判断を信頼するシステムがうまくいくのは、まさに集合知がうまくいくからです。Google の検索で上位に有益なサイトがすぐに出てくるのも、「みんな」が星の数ほどあるサイトを正しく評価してくれるからです。

 本書は、「少数の専門家 VS 素人含む多数」という二項対立を設定して、一般には「衆愚」とか「烏合の衆」という評価の低いレッテルが貼られている後者の擁護を行ったものです。集団による評価や判断が、決して多くの知識を持つ専門家のそれに劣るものではないことを、豊富な事例をもとに実証していきます。サンプルは、民主主義や市場原理といった古典的なものから、潜水艦の沈没場所の推定や、SARS ウィルスの発見といった科学的なものまで多岐に渡ります。

 著者の結論は、意見の多様性や、他人の考えに左右されない独立性など、四つの前提条件を満たすことができれば、集団は賢い判断を行うことができる、というものです。これらの条件を満たすことは、集団を注意深く組織すれば可能ですが、集合知がインターネット上でとりわけうまくいくのは、集団の意見を取りまとめる優れたメカニズムが Web にはあるからです(集約性)。Web を使えば誰でも容易に意見を発信したり投票できます。これは集合知を機能させる上で大きなアドバンテージです。

 一方、集合知にも難点はあります。これがうまくいく方法だとして、なぜ上手くいくのかが分からないのです。もちろん、失敗したときにも、なぜうまくいかなかったのか分からない。本書でも、集合知システムの一例である市場原理について「実践的にはうまく機能しているように見えるが、実際にどのように機能しているか理論的には不明だ」という経済学者の批判的な言葉が紹介されています。著者は「人間は集団でうまく正解を出せるようにプログラミングされているのではないか」と曖昧な仮説を述べているけど、じゃあ具体的にどんなソースコードで書かれているかまでは、彼にも分からない。

 特定の個人であれば、彼がなぜ正解や不正解に辿り着いたのかは、意思決定のプロセスをなぞれば、かなり正確に突き止められます。しかし、集団という次数の一つ高い主体においては、その混沌とした意思決定のプロセスを追うことは絶望的です。そもそも、集団を主体として考えるのは、あくまで話を分かりやすくするための擬制であって、本当に集団が個人みたいに考えたり迷ったりするわけではない。それをやるのはあくまで個人です。この集合知の得体の知れなさは、なぜ上手くいくのか分からないのに、結果としてちゃんと機能する市場原理が「神の見えざる手」と呼ばれるのに似ています。市場も集団も、個人を超えた擬主体ですが、その中身は依然ブラックボックスです(だからどちらも、内部を直接操作することはできず、外的な条件を変えることでしか制御できない)。

 この得体の知れなさは、第二の、さらに大きな欠点へと繋がります。それは、山形浩生氏も解説で指摘するように、失敗したときに改良の手段がないことです。間違った理由が分からなかったら、どうシステムを改良していいか分かるはずもありません。だから、次はうまくいくという保証もない。本書で悪者扱いされる専門家は、この欠点を克服することができます。彼らは、失敗したときに理由を訊ねられて「今回はたまたま運が悪かったんです」などといい加減な説明をすることは許されません。失敗の原因を徹底究明して、やり方を改良することが求められる。その結果、専門家の知恵はどんどん洗練され、予測の精度も上がっていきます。まあ、いつまでたっても成長しない残念な専門家もいるかもしれないけど、そういう連中は市場という集合知が淘汰するでしょう(あれ、でも集合知も常に正しいわけではないよね…)。

 このことが示唆するのは、もしかすると集合知というのは、使うコストが低いかわりに、正解率もそこそこ、という程度の「安かろう悪かろう」的な予測ツールとしてしか使えないかもしれない、ということです。この悲観的な見方に著者は不満でしょうが、彼も集合知のメカニズムに不明な点が多いことは認めている。完全に信頼するには危険なツールなのです。

 今後、集合知についての研究は、おそらく著者が集めたような実証事例を積み重ねることよりも、内部的なメカニズムを明らかにすることが重要になるでしょう。それは混沌の渦の中を覗き込むようなものかもしれないけど、もう外的な条件を変えることで出力の変化を見る行動主義的な方法では、結果が出尽くした感がある。集団の意思決定のプロセスが明らかになれば、そのとき私たちは、なぜ市場や民主主義が信頼できるのかを理解することができるかもしれません。そして同時に、なぜ市場や民主主義が信頼できないのかも、理解することになるでしょう。