恋人たちのクリスマス

 本日はクリスマスでした。私みたいなおっさんともなれば、全く無関係な温泉に出かけるという自由な技も繰り出せるのですが、カップル化の社会的圧力をもろに被る若い諸君にあっては、イブからの 2日間をどのように過ごすかは、結構な悩みごとだったことでしょう。特に、恋人や配偶者と過ごす予定のない「お一人様」はメディアからの圧力がわずらわしいものです。「うるさいなあ。カップルじゃなかったら人間じゃないのかよ」という苛立ちを感じながら過ごした人もいるかもしれません。しかし、最近はお一人様対応クリスマスケーキというのも登場しているそうで、資本主義社会はあらゆるニーズに応えるものだ、と感心してしまいます。

 クリスマスというイベントは、ご存知のとおりキリスト教由来のものです。中にはキリスト教よりさらに遡る起源がある、という説もあるそうですが、まあ今世界中で採用されているモミの木とかサンタとかのクリスマス・アイコンはキリスト教のものです。しかし、キリスト教徒だからという理由でクリスマスを祝う人は、日本にはほとんどいません。アジアの中で日本ほどキリスト教の根付かなかった国も珍しい。韓国やフィリピンでカトリックが大きな勢力を得たことと比較すると、その根付かなさは異様なほどです。

 また、クリスマスの宗教的な意味からして、この日を恋人同士で過ごすべき理由というのも出てきません。アメリカのように家族や宗教コミュニティの人々と過ごすというのが、むしろ自然な形です(なぜ性に厳格な宗教の教祖の誕生日に、わざわざセックスを行わねばならないのか、表向き口にしなくても心の底で疑問に思っている人は多いと思う)。そうすると、日本でクリスマスが社会的イベント、特に、恋人たちのイベントになったのは、いつ、どういう経緯によってなのでしょうか。これはなかなか気になるところではないでしょうか。

 この問いに答えようと試みたのが、堀井憲一郎『若者殺しの時代』です。本書は、クリスマスだけが主題というわけではなく、広く「若者」という集団がいかにして日本で消費対象として認識され、資本主義社会に組み入れられていったかを 1970 〜 1990 年代の社会風俗の変遷を追って明らかにした面白い本です。世代間格差を告発し、ロスジェネ世代の論客として頭角を現した赤木智弘氏が「私の思考のベースを決定した」と言うほどの名著です。本書では、漫画やドラマ、ノストラダムスの予言なんていう流行現象も分析の対象となっていますが、クリスマスに関係するのは、その意味的変遷を追った第2章「1983年のクリスマス」です。

 著者は、その時々に発行されていた色々な雑誌、今でもあるので言うと『an・an』や『ノンノ』に『ポパイ』や『ホットドッグ・プレス』とかですね、そういうのを年代順に追っていくと、クリスマスの扱いが大きく変質していくことに気づきます。1960年代の頃から、クリスマスというイベントは日本にありました。でもそれは大して重要なものとは考えられておらず、大人はすぐ後に来る正月の準備の方が忙しかった。せいぜい、子供がプレゼントを買ってもらうぐらいのものだったのです。初期クリスマスの特徴は、「子供のクリスマス」です。

 70年代になると、じょじょに若者がこのイベントに参加し始めます。著者も自分の体験に照らして、当時付き合っていた彼女とクリスマスを祝ったことがあるという。ただ、当時の祝い方で今と大きく違うのは、当時は全てが手作りだったことです。料理は彼女の手作り、ワインも自分たちで買ってきて、自宅の部屋でこじんまりとやる。このことは、まだクリスマス向けの市場が出来ていなかったことを示しています。ホテルもレストランもケーキ屋も、クリスマスがビジネスチャンスであることに気づいていなかったし、雑誌でクリスマスが特集されることもほとんどなかった。著者の表現を借りれば、70 年代にクリスマスを祝うというのは、「フランスの独立記念日を祝うようなもの」で、商業界はそのための商品パッケージを用意できていなかったし、その必要も感じていなかった。しかし、既に変化の兆しは現れていた。それは、女性が主導して人生にロマンチックなイベントを求め始めた、ということでした。

 状況が一変するのは、80年代、特に章のタイトルにもなっている 1983 年です。この年の 12 月、雑誌『an・an』が革命的なクリスマス・プランをぶちあげます。その内容は、クリスマス・イブにシティホテル(この言い方に時代を感じるが)に泊まり、朝にはルームサービスを取る、というもの。もちろん泊まる以上は間にセックスも挟まれているが、そこは言及されていない。このプランを聞くと、「革命を知らない子供たち」である私たちは、そのあまりの普通さに拍子抜けしてしまいます。むしろ貧相にさえ思うかもしれない。でも、著者も言うとおり、これは当時誰も思いつかなかった革新的なアイデアだったのです。革新的というのは、ここでは、ビジネスとして成立する収益構造、ビジネスモデルを描くことに成功した、という意味です。当時の『an・an』編集部にはベンチャー企業顔負けのアントレプレナーがいたのです。

 クリスマスが恋人たちのものになったのは、1983 年からだ。

 そしてそれは同時に、若者から金をまきあげようと、日本の社会が動きだす時期でもある。「若者」というカテゴリーを社会が認め、そこに資本を投じ、その資本を回収するために「若者はこうするべきだ」という情報を流し、若い人の行動を誘導しはじめる時期なのである。若い人たちにとって、大きな曲がり角が 1983 年にあった。女子が先に曲がった。それを追いかけて、僕たち男子も曲がっていった。いまおもうと、曲がるべきではなかった気もするが、当時はどうしようもなかったのだ。(p.48)

 ここから先は、ある意味で一直線の流れで、ダイレクトに現在まで繋がっています。市場を大きくするには、消費者を増やさなければならない。そのためには、クリスマスが正月の前座であったり、子供のものだけであっては困る。クリスマスは若者のものであるべきだ、というプロパガンダが必要とされます。プロパガンダというのは随分きつい言葉だと思うかもしれませんが、著者は「クリスマス・ファシズム」というもっとおぞましい言葉を使っている。そしていま、80 年代のバブルは過ぎ去り、クリスマスの過ごし方もずいぶん地味に戻りました。でも「クリスマスは恋人二人で過ごすもの」という革命のテーゼだけは生き残った。私たちがいるのは、そういう時代です。

 もう 1966 年のクリスマスのことなんて、誰も覚えていないのだ。クリスマスが恋人たちのものではなかった時代の記憶は、不思議な脳手術を受けてしまったかのように、きれいに消えてしまっている。1980 年以降にものごころがついた連中は、「クリスマスが恋人たちのものだった」歴史がとても古いとおもってる。11世紀の十字軍が始まりだと聞けば信じるだろう。(p.56)

 クリスマスが今さら昔のように家族のものや子供のものに戻ることは、おそらくないでしょう。著者も、そいういう時代への郷愁を隠さないが、回帰できるとは期待していない。今後も若者はいいように収奪の対象になるだろう、というのが著者の暗い見通しです。本書の最後、著者は一つだけ若者に対して絞るようにして忠告を発している。私はこれを、かつて収奪された第一世代として言うことの出来る最も良心的な言葉だと思った。それが何なのかは、実際に本を読んで確かめてみてください。