早くリア充になりたい:『ソーシャルネットワーク』

 Facebook の創業者ザッカーバーグを描いた映画『ソーシャルネットワーク』を観てきました。脚本家は、私の中で世界最高に認定されているアーロン・ソーキン。『ザ・ホワイトハウス』ほどの深みある人間ドラマではなかったけど(何しろ主人公が好感度ゼロなのでそれは仕方ない)、期待を裏切らない「クール」な秀作でした。ソーキン特有の「ネイティブでも聞き取れない、弾丸のような速さで喋りまくる」台詞まわしも健在で、もちろん私も全然聞き取れなかった。

 しかし、Facebook といっても、日本ではいまいち馴染みが薄いかもしれません。全世界で 5億人のユーザを持つ最大規模の SNS サービスで、一応 2008年から日本でもサービスが始まっていますが、mixiGree といった既存の SNS サービスとの競争でまだ優位に立てていない。Twitter が短期間で認知度を上げたのと対照的です。オフィシャルサイトでも、映画の宣伝が Facebook ではなく Twitter で行われているのが物悲しい。普及しない理由は色々あるのでしょうが、やはり基本的に実名という点が敷居が高い。Facebook労働市場と結びついていて、就職や転職のツールとして普通に利用される欧米と比べて、日本では SNS で実名をさらすメリットがまだまだ小さい。逆にリスクを感じることのが多いかもしれない。またユーザの大半が海外にいるので、共通語が英語というのもハードルをあげている。

 さて、映画で描かれるザッカーバーグは、ステレオタイプなコンピュータオタク(Nerd)です。プログラミングの技術は天才的だけど、いつも部屋にひきこもっていてスポーツとは縁のない貧弱な体をしている。性格は傲慢かつ差別的で(「女子学生の顔を動物と比較するのは面白そうだ」とブログに書いている)、必然的に友人もほとんどいない。リア充な学生の間では「あいつの友達なんて3人ぐらいだろ」と馬鹿にされています。Facebook のサービスを公開したときも、招待する友人がいないので、唯一の親友であるエドゥアルドの人脈を頼らざるをえなかった。

 面白いのは、そんな「社交(Social)」という言葉とは程遠い彼が Facebook を作ろうとする動機です。実は映画の冒頭で、ザッカーバーグはリアルの世界での社交に挑戦する意欲を見せている。彼女も作ってるし、ハーバードの伝統あるクラブに入りたいと熱望している。自らが「選ばれた人間」であるという強烈な自尊心を満足させたいと、若者らしい肥大した自我の衝動に突き動かされます。でも、彼はその両方から拒絶される。彼女にはその傲慢さに愛想をつかされ、「本物のエリート」代表のウィンクルボス兄弟(北京オリンピックにも出場するスポーツマン)からは「たかがオタク風情が」と、プログラミングのできる奴隷程度にしか思われていない。

 リアル世界から拒絶され、自分が「非リア」であることを否応なしに悟らされた彼は、二次元の世界で自尊心の回復を図ります。まず最初に作ったのが、女子学生の顔写真に点数をつけて対戦させる「Facemash」というサイト(これは実話)。男子学生の間で人気を博しますが、あからさまに差別的なのですぐ閉鎖に追い込まれます。ここで注目すべきは、そんなサイトを作っても、リアルの世界で彼女なんか出来ない、ということです。むしろ嫌われる一方なのになんでそんなサイトを作るのか。それは彼の目的が「女からの承認」から「女への復讐」に変わったからです。ルサンチマンという言葉がしっくりくる。そして、今度こそ政治的に文句を付けられないようにと作ったのが、Facebook ―― その含意を汲み取って訳すなら「顔の見本帳」というところでしょう。「Facebook」の名前が「Personbook」でも「Peoplebook」でもなく "Face"book であるのには、理由があるのです。人格よりも顔。ザッカーバーグ広瀬香美の歌を聴いたら、「リア充たちの欺瞞を暴いている」と深く頷いたかもしれない。

 もちろん、こういうザッカーバーグ像にはかなり脚色が入っています。原作はザッカーバーグに恨みを持つ人々のインタビューから作られているので、どうしても彼は嫌な奴として描かれるし、リアル・ザッカーバーグ自身が Facebook を作った動機について「女をひっかけるためではない。当時の僕には彼女がいた」と反論しています。でも、前身である Facemash の性格や、Facebook で最も重要な情報と言われる「交際ステータス」(これは他の SNS では見かけない)なんかの存在を考えれば、性的な動機がないとは考えにくい。ザッカーバーグは「Facebook は出会い系サイトとは違う」と言うけれど、SNS 全般が出会い系としても使われていることは周知の事実です。

 映画の中で、ザッカーバーグはあまり笑いません。二次元の世界で王になり、三次元の世界でも莫大な富を得たのに、彼の表情は曇ったままです。現実のザッカーバーグは弾けるように笑っている写真を多く見かけるので、ここもかなり作り手のメッセージが入り込んだ演出になっている。「どれだけサイバースペースで成功しようとも、リアル世界で人間的な承認を得られなければ幸せにはなれないのさ」という、ある意味ハリウッドらしいメッセージです。

 映画の最後は、祈るように「女からの承認」を求めるザッカーバーグが F5 連打するシーンで終わります(ソーキンには悪いけど、私はここで笑っちゃった)。さて、GeekNerd の皆さんはこのハリウッドからの否定的なメッセージをどう思うでしょうか。「そうだよなあ。やっぱりリアル世界で彼女作って、充実してないと幸せにはなれないよなあ」と同感するでしょうか、それとも Napster 創業者 ショーンの「デジタルはリアルを超えていく!」という革命の呼号に唱和するでしょうか。