テレビ CM の間にトイレに行くのは犯罪です

 先週、CM自動飛ばし機能付き製品をつくっている三菱電機東芝が、春以降この機能を搭載した製品を今後作らないというニュースが報じられました。これが小さからぬ波紋を呼んでいます。

 HDD 搭載のレコーダやテレビが普及したことで、最近のテレビ視聴スタイルは大きく様変わりしました。一言で言えば、これまで視たい番組がある場合はその時間に TV の前で「スタンバイ」しておく必要があったのですが、今では撮り貯めておいた番組を空いた時間で視る、という効率的なスタイルに変わったのです。コラムニストの小田嶋隆氏はこれを「ディフェンシブな視聴スタイルからオフェンシブな視聴スタイルへの変化」と呼んでいます。たかがテレビに大袈裟すぎる表現な気もするけど、まあ言いたいことは分かります。HDD レコーダによって視聴の仕方が、かなり能動的なものになったのは確かです。

 そして、録画した番組を再生するときに欠かせないのが、渦中の CM スキップ機能です。視聴者の大半にとって価値があるのは番組の内容であって、CM ではありません。よっぽど作品として良く出来た CM でもない限り、敢えて見たいものではない。そういう CM でも一度見れば十分です。だから、CM など最初からなかったこととして飛ばして再生してくれる機能は、疑いなく視聴者にとって便利なものです。

 しかし、この機能は TV 局にとっては厄介な代物です。何しろ、TV 局の収益の柱はスポンサーからの CM 料ですから、極端な話、番組をいくら熱心に視てもらっても TV 局にとっては嬉しくない。重要なのは、その合間の CM を視てもらうことなのです。最初から視られないことが分かっているのに出稿するスポンサーはいません。そのようなわけで、TV 局はこれまでずっと、レコーダやテレビの CM スキップ機能を苦々しい思いで眺めていましたが、今回ようやく潰すことに成功したわけです。

 それだけなら、メーカーと TV 局の間の綱引きというだけですが、この話が面白いのは、原理的な射程が広いところです。繰り返しですが、TV 局としては CM を視てもらわないと意味がない。これを勝手に省略する機能は、一種の窃盗です。「番組はタダじゃない。それは CM を視るという対価を払う人にのみ提供されるべきものだ」というのがテレビ局の側の言い分だからです。これには説得力がある。契約の互恵原則(gve and take の原則)からすれば、視聴者は番組を take する以上は、それの対価を払う必要があります。となれば、お金を払っていない以上、 CM を視るという現物によって払っているのだ、という解釈は成立しえる。インターネット動画配信サービスの Gyao でも、視聴者は無料で動画を見られる代わりに、スキップできない CM につき合わされます。そうすると原理的には、視聴者は普通にテレビ番組を視ている場合でも CM 中にトイレに行ってはいけない、ということになります。それはフリーライド(ただ乗り)という不正義なのです。実際に CM 中のトイレを取り締まるのは困難なので、黙認されているだけで。

 しかし、この広告モデルを今後維持していくことは、どのみち困難になっていくでしょう。たとえスキップ機能がなくなったとしても、大半の視聴者は CM を早送りする。しかも、CM 部分だけをきちんと認識して手動でスキップする機能は、まだ多くのレコーダが持っているので、これを許せば、結局 CM は飛ばされてしまいます。このアポリアを根本的に回避するためには、ビジネスモデル自体を変えるしかない。おそらく今後 TV は、Apple TV のように番組そのものに値段をつけて売る原始的なモデルへと回帰していくしかないでしょう。そしてそのとき、もう配信媒体としての TV 局は必要なくなります(今でも Apple TV が TV局を必要としていないように)。番組は製作会社からインターネット・ストアを介して、視たいときに視たい人のもとへ届けられる。インターネットはこれまでも既存の仲介業者を悉く破壊してきましたが、最後の、そして最大の仲介業者が、TV局なのです。