静止した時の中で:野口悠紀雄『1940年体制』

 一般に「日本型経営」と呼ばれる経営の形態があります。終身雇用と年功序列を柱とした、平等主義的かつ家族主義的なコーポラティズムの企業経営版です。戦中から高度経済成長期までの日本経済発展の基盤となった一方で、最近では、日本の経済的停滞の原因であるとして批判の対象になることもしばしばです。

 そうした評価の妥当性はともかく、時折、こうした現代日本に特徴的な企業文化は、文字通り日本の「文化」であり、ずっと昔から連綿と続いてきた伝統なのである、という主張をみかけることがあります。こうした主張の行き着くところは、そうした「文化」は日本と日本人の本質に深く根ざすものなのだから、変えることは出来ないし、無理に変えようとするとかえって有害だという、諦念にも似た運命論です。

 でも、実際のところ、今でこそ私たちが親しむ諸制度は、本当に伝統と呼ぶほど長い歴史を持っているのでしょうか。著者は、この問いに対してはっきり、否と答えます。日本型経営に限らず、今現在、私たちが日本の本質だと思い込んでいる事物の多くが、本当はごく短い歴史しか持っておらず、むしろ長い日本の歴史に照らせば「特殊例外的」なものなのだ、と。それだけでなく、著者はこうしたシステムが作り出された起源まで特定します ―― それが 1940 年(正確には、それに前後する数年の期間)。

 1940 年。それは日本が太平洋戦争への下り坂を転げ落ちていく、不穏な空気の立ち込める時代です。それまでに一通りの近代化を成し遂げた日本は、この時期に、戦争遂行を至上目的として、国家自体をその目的を達成する機械へ作り変えたのです。中央集権的な政治体制と強力な官僚制、徴税効率の高い源泉徴収制度、株主の権利制限と従業員共同体としての企業、直接金融(株式)から間接金融(銀行)への移行、食糧管理法借地借家法の改正による地主の地位低下 ―― 現代日本を特徴付けるこれらの制度はいずれも、この期間に用意されました。「戦後社会の基本的な性格付けは、戦時経済体制の中で準備されていた」(p.12)のです。この戦時経済体制に著者がつけた名前が書名でもある「1940年体制」です。重要なことはこの体制が、(結局負けてはしまうものの)戦争遂行に好都合だっただけでなく、戦後もほぼ無傷に生き続け、日本の高度成長を支えたという事実です。敗戦によって日本は戦前と大きな断絶を経験したと信じられていますが、経済体制については驚くほどの連続性が存在していたのです。

 なぜ戦時体制が平時の経済成長にもフィットしたのでしょう? 1940 年体制が戦争に向いている理由は分かります。戦争に勝つためには、とにかく増産増員。戦闘機を作っている会社の経営が傾いたからといって、従業員の首を切らせたりさせない。「物言う株主」など邪魔なだけ。こういう強権的な体制は、目的が分かっている場合には非常に効率的です。焼け野原から再スタートを余儀なくされた戦後の日本にとっても、やるべきことは分かっていました。まずは道路・水道・電気といったインフラ整備、国際競争力を持つ製造業の育成、そしてそれを可能にするための教育の普及。こうした分野に重点的にリソースを投じれば、大きなリターンが得られることは自明でした。問題は、それをいかに効率よく実行するか、だけです。こういう状況に、1940 年体制は実にうまく「はまった」のです。

 本当なら、私たちはこの体制からとっくに卒業すべきはずでした。著者もそれを強く主張した論客の一人です(なにしろ本書のサブタイトルは「さらば戦時経済」)。正解が分かっているとき、「みんなの力を合わせる」ためには有効に働くこの体制は、逆に正解の分からないときは、間違った方向に全体をミスリードしかねない厄介な代物です。この体制は戦争の遂行には役立ったけど、戦争を止めることには全く無力でした。また、産業や価値観の多様化した現代では、中央集権は非効率な仕組みです。しかし今回の震災によって、状況は一変しました。誰も予想しなかった形で、日本は再び焼け野原からの出発を迫られることになった。国家社会主義が、再び必要とされる時代が来たのです。

 例えば、いま喫緊の問題になっている電力供給の問題があります。原発事故への拙い対処や「計画」というには雑すぎる輪番停電の運営から、東京電力への批判は大きな高まりを見せています。こうした声に後押しされる形で、電力をもっと計画的に供給する体制を作るべきだ、という主張が登場するのは時間の問題です。もっとはっきり言えば、電力の国家管理です。「民間企業なんかにやらせるからあんな無計画停電が起こるんだ。頭のいい官僚に任せなさい」というわけです。これもまた、1940 年体制の一つです。1937 年、元逓信省官僚の奥村喜和男が着想した「電力国家管理法案」が議会に提出され、財界との論争を引き起こしました。奥村の案は、所有と経営を分離することで、電力を国営管理とする大胆なもので、自由主義経済体制へのあからさまな挑戦でした。これが全体主義的であるとして財界から強い反発を招きますが、1938 年には、ほぼ奥村案が通る形で、電力カルテル日本発送電が出発します。深刻な電力不足が予想される今夏には、新日本発送電が誕生するかもしれません。

 おそらく、日本の復興を支えるために、1940 年体制は再び有効に作用するはずです。早まって解体しなくて良かった、と喜ぶべきか複雑な気持ちですけど。日本はきっと今度も、「みんなの力を合わせて」力強く復興していくでしょう。でも、その復興は、佐々木俊尚氏や東浩紀氏が言うように、日本が変わることによってではなく、むしろ変わらないことによって達成されるはずです。それは別に良いとか悪いとかではなく、おそらく現時点で最も効率的な選択肢を選べばそうなる、というだけのことです。

 かくして私たちは再び、1940 年に舞い戻る。目的が戦争でないことだけが、唯一の救いです。

 2011/4/2 付記:政府内部では、早くも電力の国家管理が検討されはじめました。いま霞ヶ関には「1940年よ再び!」と息巻いている官僚が少なからずいると想像します。また本書の著者である野口悠紀雄氏も、「統制経済の復活を許してはならない」という論考を寄せ、1940年体制の復活に警鐘を鳴らしています。野口氏も言うように、「『官民一体となって』こそが40年体制の基本思想」なのです。