年金は人生の「残念賞」

 今週、民主党がマニュフェストで掲げていた年金の傾斜配分方式の具体案が明らかにされました。「社会保障と税の抜本改革調査会」(会長・仙谷由人官房副長官)がまとめたもので、骨子としては「現役時代の平均年収が 600 万円を超える人から次第に減額していき、1200 万円超の人には支給しない」というものです。

 これは、場当たり的に給付カットしたり現役負担を増やしてきた従来の年金制度改革とは一線を画すものです。昔のエントリで、私も年金はお金持ちの老人にあげる必要はないと書いたことがありますが、今回の民主党案は私が思い描いていたものに近い。違うのは、給付基準として、私が老後に入ったときの資産(ストック)を望ましいと考えるのに対して、民主党案が現役時代の平均収入(フロー)を使っていることです。民主党案だと、現役時代に 平均 4000万円 稼いでいても、その後散財してすってんてんになった人は年金を一円も貰えないことになる。また、所得は少なくても親から莫大な遺産を相続した人は、年金をもらえちゃう。

 下の図を見ても分かるとおり、高齢者世代は、もう働いていないので収入こそ少ないものの、資産は平均的に多く保有しています。70歳以上だと 6000 万円近くの資産を持っている。高齢者というのは、全体としてみればお金持ち世代なのです。

世代別資産
(出典:社会実情データ図録

 そういうわけで、本当なら年金の給付基準には高齢者になってからの資産を使うのがより厳密だと思うのですが、資産を正確に補足することには色々と難しい問題もあるのでしょう。それは今後の課題です(一方、所得の補足は源泉徴収と確定申告という既存の仕組みが使えるのですごく簡単)。

 今回民主党が考えた傾斜配分方式は、いわば高齢者という同一世代内における再配分政策ですが、これが優れている理由は、原資を増やすことなく(=現役世代の負担を増やすことなく)、社会全体の厚生を増やすことができる「夢の処方箋」だからです。

 今の年金制度だと、高齢者なら資産の多寡によらず一律年金をもらえます。生活がカツカツの独居老人にとって、月 10 万円の年金はまさに命をつなぐ頼みの綱でしょう。一方、5000 万円の資産を持っている人にとっては、同額の年金をもらってもあまり嬉しくない。これを限界効用逓減の法則と呼びます。同じ資源でも、より必要としている人の方がありがたみが大きいという、まあ当たり前の話です。

 そこで、資産 5000 万円持ってるお金持ち老人には年金を支給しないことにする。これでこのお金持ち老人は、ちょっとだけ「嫌だな」と思う。推定で 0.001 psn くらい。代わりに、この取り上げた 10 万円を、先の生活カツカツ老人にあげることにする。これは物凄く嬉しいに違いない。きっと効用は 100 psn ぐらいはある。そうすると、全体で見れば、100 - 0.001 = 99.999 psn だけ効用が増したことになる。素晴らしい話ではありませんか。

 このように、全体としてみれば良いことずくめのアイデアですが、一つ難点があるとすれば、お金持ち老人が「年金保険料を払い続けてきたのにオレが貰えないなんて不公平だ」という負の感情を抱いてしまうことです。でも本当は、これはただの勘違いなのです。年金が保険である以上、全員がリターンを得ることは難しい。保険の基本は掛け捨てです。年金もそれは変わりません。その意味では、マッツァリーノが言うように、年金というのは、人生うまくいかなった人にあげる「残念賞」みたいなものなのです。以前のエントリでも紹介した言葉ですが、もう一度引用しましょう。

 福祉ってのは、結果に応じて救済される仕組みです。ですから年金を福祉と考えるなら、救済する対象は、ちゃんと働いて年金保険料を納めてきたのに、勝ち組になれずに長生きしてしまった老人だけにかぎるべきなんです。自分の資産で食っていける勝ち組老人にまで年金を支給すれば、資金が足りなくなるのは当然です。

 健康保険は、もしも一生健康だったら払い損です。なのに文句いう人はいませんよね。年金一生年金のお世話にならずに自立した金持ちのまま死ねたら、だって同じです。ハッピーと思わなくちゃ。
『日本列島プチ改造論』p.89)

 もし皆さんの周囲に「保険料を払ってきた自分が年金を受け取れないのはおかしい」という老人がいたら、「でも健康保険料を払って病気にならなかったら、保険料返せなんて言わないでしょ?」と言って説得してあげてください。保険というのはリスクに備えるためのもの、という本義に立ち戻って考えれば、むしろ「年金もらえないということは、自分はハッピーな人生を送ったのだ」と思うのが正しいのですから。