暴力団の資金源を絶つ方法

 腎不全を患っていた東京の医師が、暴力団から腎臓を買ったとして逮捕されたニュースが報じられました。

 闇での臓器売買に暴力団が関与している(いわゆる「しのぎ」にしている)ことは、周知の事実なので、今回の事件にはその点に関する新味はありません。しかし、高い倫理を持っているべき医師が、暴力団と関係を持っていたことに衝撃を受けた人は多いでしょう。一方で、思い腎臓病を患っている人が、法を犯してでも臓器を欲しがる気持ちも分からないではなく、単純に医師を責めて終わりにするのも間違っている。根本的には、臓器移植の基準がもっと緩和されれば、こうした事件を減らすことができるでしょう。

 そもそも、暴力団が臓器売買に絡みたがるのは、皮肉にもこれが違法行為であるからです。ある商品の市場取引を禁止すると、売買が一切なされなくなるわけではありません。実際には、ブラックマーケットが生まれ、そこで取引されるようになります。まあその商品が本当に需要のないものだったらブラックマーケットが生まれることもないのですが、そんな不人気な商品はそもそも取引を禁止する理由がありません。今回のケースでは、腎臓の値段は 1000 万円でした。臓器というのは高額商品であり、暴力団にとっては「おいしい」商売なのです。

 ブラックマーケットでの価格は、取引が禁止されなかった場合の表の市場よりずっと高くなります。需要に比べて商品の供給が絶対的に不足するのだから、当然です。ブラックマーケットにおいて、暴力団独占企業のように振舞うことができる。

 かつて、禁酒法時代のアメリカでは、アルコールが高額な闇値で売買されていました。ちょっと現代からは想像がつきませんが、酒が今でいう麻薬みたいな扱いを受けていた時代があったのです。このとき、密造酒の販売で莫大な利益を得たのが、有名なマフィアのアル・カポネです。皮肉にも、需要のある商品の取引を禁止することは、反社会的勢力を肥え太らせる結果をもたらしてしまうのです。現代において「酒屋とマフィアの癒着が発覚!」という衝撃のニュースが報じられないのは、酒の販売が合法化され、十分に価格が下がったからです。

 ここで、思考実験で極端なケースを考えてみましょう。臓器売買が合法化されたと仮定します。すると何が起こるか。臓器の供給が増え、価格が急落します。もし臓器が 100 円均一のショップで売られるところまで来たら、暴力団はもう臓器売買に一枚噛む気は起こさないでしょう。彼らは、そんな儲けの薄い商品には目もくれず、もっと収益率の高い商品(たぶん麻薬)に労働力を集中するのが合理的です。

 つまり、暴力団が臓器売買に絡みたがるのは、臓器が「儲かる」商品である限りにおいてです。だから、臓器売買の禁止に賛成する人は、臓器の価格を吊り上げることによって、暴力団に資金源を提供することにも賛成していることにもなります。もちろん、闇取引を完璧に摘発できればそれにこしたことはありませんが、それが絵空事であることは、ちょっとでも社会で生きた経験のある人なら分かることです。

 以上から、暴力団の資金源を絶とうと思うなら、臓器売買を合法化して価格を下げてやることが効果的であることが分かります。併せて、現在ブラックマーケットが成立している麻薬、売春といった市場も合法化すれば、暴力団は一切の資金源を絶たれ、社会から一掃されることでしょう。

 臓器に関して言えば、売買を合法化しなくても、臓器移植の基準を緩和するだけでも供給を増やす効果はあります(日本の臓器移植法は、次第に緩和の方向に改正されており、今では本人の拒否意思表示がなければ、家族の同意のみで可能になりました。以前は本人と家族の同意が必要だった)。麻薬については、中南米での絶望的な麻薬戦争に手を焼く米国やメキシコでは、麻薬の合法化が真面目に考えられています。『New York Times』は 今月 16 日の記事で、従来の米国の麻薬対策を「麻薬に対する厳罰化は刑務所の人口爆発を招いただけだった」と総括し("Call Off the Global Drug War")、『Economist』も「麻薬戦争に終止符を打つ根本的解決は麻薬の合法化であり、それ以外はしょせん対処療法だ」と述べています(「麻薬戦争に苦しむ中米諸国」)。

 このように表の水門を開いて供給を増やすことで、裏の水路を干上がらせるというのが現代の社会システム制御の考え方です。今回の事件も、単に医師の倫理や人格の問題に矮小化して終わらせるのではなく(それは放っておいても週刊誌がやるだろうけど)、システム改善のための契機として考えることが不可欠です。