コンピュータをぶっ壊せ:新井紀子『コンピュータが仕事を奪う』

 前回に引き続き仕事について:

 ここ数年、というかもう十数年、日本の経済についてはあまりいいニュースがありません。震災の影響は別にしても、その前から日本は長期停滞街道を驀進しており、私のような団塊ジュニア世代ともなると、十代の頃から不況しか知りません。「バブルって何それ食えるの?」という感じです。

 平均的労働者の給料が下がる、または据え置きになることの原因は色々考えられています。「強欲な資本家が労働者を搾取しているのだあ!」と気炎を上げる古い左翼もまだ生き残っていますが、このタイプは思い込みだけで根拠に乏しいので、からかう以外の目的で相手にしたらダメです。

 これに比べると「労働者の競争相手が増えたからだ」という説は、論理的に筋が通っていて説得的です。物の価格を直接的に決めるのは、需給バランスです。ならば給料が下がるということは商品(労働力)が増えたからだ、というのは間違っていないはずです。

 問題は、一体何が労働者の競争相手になっているのか、ということろですが、例えば、悪いのは女性だ、という説があります。女性が社会進出を果たしたから男性の給料が下がったのだと。いや、そんなのは小さな話だ。もっと巨大な敵がいる、という人もいます。グローバリゼーションこそが真犯人である、という話は、週刊誌の記事なんかでもよく見かけます。最近だと TPP 亡国論がタイムリーです。

 確かに女性が労働市場に参加するようになれば、(他の要因が働かない限り)男性社員の給料は下がるはずですし、グローバリゼーションが進んで、賃金の安い途上国の労働者が労働市場に参加するようになれば、女性の場合とは比べ物にならないほど大量の労働力が供給されることになる。こうした理由で給料が下がるのではないか、という説は論理的に整合しています。

 ただ、こうした説が定量的にどの程度妥当か、というのはまた別問題です。実際のところ、ここ数十年のスパンで労働者の賃金を押し下げている理由のほとんどは、機械化によるオートメーションでほとんど説明がついてしまうようです。

 機械化には、大きく三つの段階があります。まず最初、機械は手工業者のライバルとして登場しました。蒸気機関の発明と産業革命の時代、機械に職と尊厳を奪われた労働者がラッダイトという機械打ちこわし運動を起こしたことは、有名な史実です。ラッダイトには死罪が適用されましたが、それでも労働者の怒りの炎は容易にはおさまりませんでした。

 第二段階は、20世紀中盤あたりから始まります。機械は次に、単純労働者の職を奪い始めます。電話交換手、タイピストキーパンチャーといった職業は、今ではもう古い映画やドラマでしか見かけなくなりました。そういえば、私が子供の頃は、まだ駅に自動改札機がなくて、切符を凸型に切るため専用の駅員さんがいました。あの人たちは、自動改札機の導入後どうなったのだろう? たぶん別の部署に配置転換になったか、リストラされたのでしょう。当時、自動改札機が打ち壊しの対象になったというニュースは聞きませんでした。

 第三段階は、現在進行中です。機械はついに、ホワイトカラーの仕事を奪いに来た。これまで、機械にできるのは定型的な仕事だけだと考えられてきました。だから、非定型的な仕事までは機械は担えない。ここで機械と人間の分業ラインが成立するはずだ、と。しかし、その見通しはどうも甘かったようです。

 コンピュータは、確かにアルゴリズムに落とせる仕事しか出来ない、という点では、定型的な仕事しか出来ません。しかし、最近のコンピュータの凄いところは、学習ができることです。多くの事例をデータベースに持たせることで、一見、非定型に見える仕事を膨大な定型処理で近似させることができるようになったのです。この仕組みの代表例は、機械翻訳や画像認識です。Web にもこうした無料サービスがありますが、人々が利用すれば利用するほどデータが集まり、精度が高まるようにできています。

 もちろん、こうしたアルゴリズムの精度は、完璧というにはまだまだです。昨年、ウォール街で株価が短期間原因不明の乱高下を繰り返す謎の現象(フラッシュクラッシュ)が起きました。この原因は、株の取引を行うアルゴリズムが想定外の動きをしたことでした。現在、ウォール街で取引をしている主体の 7割はコンピュータだといいます(「ウォール・ストリート、暴走するアルゴリズム」)。しかし、だからコンピュータによる取引を禁止しよう、というラッダイト的な方向に向かうかというと(そう主張する政治家もいないではないが)、そうではありません。現実には、フラッシュクラッシュを織り込んだ形にアルゴリズムを修正して、より精度を高くしたプログラムが登場するでしょう。

 こうしたコンピュータによるオートメーション化の波によって、21 世紀にはこれまで聖域とされてきたホワイトカラーでさえ、仕事を奪われることになるだろう、というのが本書の予想です。一応、コンピュータの苦手な仕事を見極めるのも大事だ、というフォローも書いてあるのですが、それが具体的にどんな仕事かまでは詳しく詰められていません。

 そこで、幾つか有望そうな仕事の特徴を、私なりに整理してみました。

  • (1)具体的なモノが絡む仕事

 いくらコンピュータが進化したとはいえ、アルゴリズムで腹は膨れませんし、コンピュータを服代わりに着ることもできません。食糧生産、物流といった具体的なモノを回す仕事は、私たちが動物としての生理に従わざるをえない以上、残ります。ただし、この分野は今でも過当競争なので、賃金が上がることはなかなか期待できない。

  • (2)責任を取ること

 人間にできてコンピュータには絶対に出来ないこと。それは責任を取ることです。コンピュータを使った株取引で株式市場の暴落を招いたからといって、コンピュータが責任を取ってくれることは―― 彼らが人格を持つようになるまでは ―― ありません。責任を取れるのは、コンピュータを使った/作った人間だけです。いわば、怒られ役、尻拭い役としての人間は、まだまだ必要とされるということです。医療の世界なんかでも、CT や MRI など先端技術を使った治療はどんどん進歩していますが、誤診の責任を取れるのは、やっぱり人間の医師だけです。

  • (3)規制業種

 真面目な研究者である著者は、この不埒な選択肢には一言も触れていません。でも「将来にわたって安定している仕事」と聞いて、たぶん多くの人が真っ先に思い浮かべたのはこのカテゴリではないでしょうか。ずばり、公務員や東電のような独占企業、そして弁護士や会計士のように免許制で供給が制限されている職業。このカテゴリは強い。法律で仕事が守られているからです。たとえ機械化の波で実質的には仕事がなくなったとしても、決してクビにはならない。真の勝ち組と呼べましょう。もっとも、ギリシャみたいに国の財政そのものが破綻すると、公務員といえど放り出されてしまいますが。

 産業革命が起きて、ラッダイトたちが夜な夜な機械を壊して回っていた当時、ラッダイトとは逆に、オートメーション化に希望の光を見出していた楽観的な人々もいました。『幸福な王子』や『サロメ』で知られる作家オスカー・ワイルドは、評論「社会主義下における人間の魂」の中で、「機械は新たな奴隷階級であり、不快な労働を全て任せることで人間は好きな活動にだけ専念できる」というお気楽ユートピア像を展開しています(これに対し後に、そんなことあるものかと噛み付いたのがジョージ・オーウェル)。

 私たちは、ワイルド流の機械礼賛のむなしさはよく承知しています。だからといって、今さらネオ・ラッダイト運動に身を投じるのも馬鹿げている。現実的には、(1) 〜 (3) のどれかの仕事を選んで、コンピュータとの直接対決を回避しながら生きていくしかありません。機械の得意なフィールドでは、人間は絶対に勝てない。それはここ 200 年の歴史が証明しました。というわけで若い皆さんには、是非公務員を目指して頑張ってもらいたい。

 …… いいのかな、この結論で。