借金はどうやって返せばいいか

 日本の政府債務は、943兆円強(2011年6月末時点)と、近く 1000 兆円を突破する勢いで増え続けています。また新しく首相になった野田氏はかつてから財政タカ派として知られており、増税による財政健全化に意欲を見せています。いよいよ大増税次代の到来が近づいてきた実感があります。

 まあ、借金というのはいつかは返さなければならないものです。経済学者の多くは、もう日本は債務に関しては危機的状況だという認識を共有していますが、ネット上には「まだまだいける。増税するなんて早すぎる」という強気な意見も見られます。そういう男気溢れる姿勢を最後まで貫いた国がどういう末路を辿るのか、という点も興味深いところではあります。過去に借金で首が回らなくなった国々の調査結果をまとめた『国家は破綻する』という面白い本があるのですが、そうした借金大国の歴史については、次回のエントリで紹介したいと思います。

 今回紹介したいのは、そもそも日本が借金を始めたとき、どのぐらいの見通しと計画性を持っていたのか、ということが分かる資料です。それが猪瀬直樹『日本国の研究』です。

 時は 1975 年。この年、日本は初めて本格的に赤字国債の発行を開始しました。正確には、1965 年にも一度赤字国債を発行しているのですが、このときは本当に一回限りで終わっています。しかし、1975 年以後は、その特例を毎年途切れることなく繰り返すようになります。クスリを止められなくなったジャンキーのように。その意味で、1975 年という時期は、日本がパンドラの箱を開けた記念すべき年です。

 この年に発行された赤字国債額は、2.1 兆円。数十兆円を大盤振る舞いしている現在から見ると、可愛らしいものですが、当時の歳入総額が 21.5 兆円だったことを考えれば、10 % を借金でまかなうというのはそれはそれでなかなかの規模です。

 当時の国会で行われていた議論を振り返ると、実に興味深いものがあります。衆議院予算委員会では、10月22日に正木良明委員(公明党)が大平正芳蔵相(当時)に面白い質問をしています。それは、「赤字国債はどうやって返すのか」というのです。これは本質的といえば本質的、意地悪といえば意地悪な質問です。手元不如意で無心しにきた客に対して、サラ金が「で、ご返済のめどは?」って、それが分かってりゃ苦労しないっての。当然、答える大平大臣は、苦しい。

 大平蔵相は、歳入歳出を厳しく見直す、と答えた。たしかに、出るおカネが少なければ、余ったおカネで借金を返すことができる。

 しかし、赤字国債を発行するのは、歳出が歳入を上回るからである。十年償還だから、十年間、少しずつおカネが余りつづけないと返せない。翌年も、翌々年も、当面ずっと歳入不足になることが予想されているではないか、と正木議員は質している。そうであれば、赤字国債を返すことは論理的には不可能になる。翌年も歳入不足となれば、さらなる赤字国債の発行が余儀なくされる。また翌々年も、となる。サラ金地獄という言葉は当時はまだなかったが、そういう論理を述べている。
(前掲書、p.24)

 正木議員の言葉には、我々としても深く頷かされるところがあります。彼はまた、新税を作って返済の財源にしてはどうか、という提案までしています。まさにいま日本が岐路に立たされている増税議論を、35 年前の国会でもやっていたのです。これは、昔の人に先見の明があるというより、日本人がほとんど進歩していない、と見るべきでしょう。

 正木議員は、日本の将来について次のように警告を発しています。

 今度、この特例法さえ出せば、歳入欠陥があれば赤字公債を出せるというような方向へ進もうとしているのです。こういうときによほど強い歯止めを幾つかかけておかないと、とんでもない、それこそあの財政制度審議会が中間報告で言ったように、5 年後には(建設国債赤字国債の合計が)60兆円にもなるような国債を発行しなければならなくなるかもしれない。

 彼の危惧は短期的には当たりました。5年後の 1980 年の国債発行額は、事実 60 兆円に達しました。長期的には、事態は彼の危惧を超えて進みました。あの世にいる正木議員が「もうすぐ政府債務が 1000 兆円を超える」と聞いたら、さすがに悪い冗談として取り合わないでしょう。

 彼がこれほどまでに赤字国債を恐れ、逆に言うと、今の私たちが借金について鈍感になっているのは、おそらく体験の差によるものです。日本は 1946 年に一度対外債務をデフォルトさせています。その経験から、戦後の日本は、赤字国債の発行を禁止しました。国債の発行を条件付で認めている財政法第4条においても、許されているのは建設国債だけです。これは覚えておくべき事項です。敗戦とデフォルトという痛恨の間違いを立て続けけにやらかした私たちの先輩は、戦争と借金という二つのオプションを禁じたのです。「日本は戦争も借金もできる国ではない」と。

 その後の日本は、先輩方の気遣いを自衛隊と特例公債法という抜け道によって無にしますが、それによって私たちは再びデフォルトの恐怖に怯えることになりました。では、戦後の日本人が心底恐れたデフォルトというのがどんな現象なのか、国家が破綻する時、国民にはどういうことが起きるのか(意外に私たちはこれを具体的に知らない)、それを次回のエントリで見ていきたいと思います。