借金を返さないと何が起こるか:ラインハート=ロゴフ『国家は破綻する』

政府は少なくとも 100 年に一度は、財政均衡を回復するためにデフォルトを起こさなければならない。

――アベー・テレ(18世紀のフランスの蔵相)

 
 向こう見ずな個人が借金に借金を重ね、債務を膨れ上がらせると、まず最初に、貸し手がいなくなります。新しい貸し手は借り手の危険さに気付き、貸した金が返ってこないことを予見する。結果、誰もその人物に金を貸さなくなります。次に起きることは、厳しい取立てです。現金や有価証券など流動性の高い資産から始まって、最後には家や土地といったすぐに換金できない資産まで差し押さえられます。それでもなお借金を返せなければ、残る手段は破産申請、すなわちデフォルトです。「かえせまっせーーん(ボーン)」とちゃぶ台をひっくり返すことで、借金を踏み倒す。これをやると借金は清算できますが、信用は地に落ちるので、もう二度と借金は出来ません(クレジットカードすら作れなくなる)。

 国の借金の場合も、基本的にはこの流れを辿りますが、少し違うところもあります。国家の公的債務が膨れ上がると、一般的に次の三つの可能性があると言われています。一つが増税。渋る国民をなだめすかして、真っ当に借金を返済する。二つ目はデフォルト。借金の踏み倒しです。そして三つ目はインフレ。これは債券の価値を目減りさせるという点で、デフォルトと同じなのですが、政府が能動的に「かえせまっせーん(ボーン)」とやるデフォルトに比べて、こっそり債務を削減できる、いわば「ステルス・デフォルト」みたいなものです。政治家の一部がインフレを好む理由として、インフレならばこっそり債権者の財布から抜き取れる、というのもあるのではないでしょうか。

 最近活発になった消費税増税を議論からも分かるように、日本はいま、一番まっとうな第一の道をとるかどうかの岐路に立っています。しかし、増税にはなお反対意見も強い。日本の財政は余裕があるからまだ借金を返さなくても大丈夫だ、という意見もあります。この意見を支える理由の一つは、日本の債務は内国債なのだから、家計でバランスさせられる以上は返済できる、というものです。実際、国内債務は経済に何の影響も与えない、という経済学的な立場もあって、リカードの等価命題として知られているモデルがそれです。政府が借り入れをすると、国民は将来の増税に備えて貯蓄を増やすので、国内債務は必ず家計でバランス出来る、と想定するのです。

 もしこのモデルが正しければ、国内債務によってデフォルトする国は存在しないことになります。しかし現実はそれほど理論どおりではない、ということを豊富な事例データを集めて実証したのが、ラインハート=ロゴフ『国家は破綻する』です。過去 800 年間の金融危機の詳細なデータをかきあつめ、なぜ金融危機はこんなにも繰り返されるのか、という謎に挑んだ読みごたえのある本です(分厚い、という意味でもある)。

 理論に従えば、国内債務でのデフォルトは起きないはずなのに、現実にはかなり頻繁に起こっています。本書によれば、1800 年以降で少なくとも 70 件以上は起きている。この数字は控えめだ、と著者たちは言います。理由は、国内債務についてのデータはどの政府も(信用に関わるため)積極的に公開しようとしないので、本当は国内債務が原因のデフォルトはもっと多いはずだ、というのです。

 国内債務によるデフォルトが起きると、政府は問答無用で踏み倒しにきます。例を挙げてみると:

  • 表面利率の低い債券へ強制転換(イギリス、1888〜89)
  • 国債の償還日を一方的に延期(ウクライナ、1998〜2000)
  • 公務員年金の支払いを延滞(パナマ、1988〜89)
  • 対外債務の利払い中止(スペイン、1936〜39)

 
 おっと忘れてはいけない、

  • 預金口座封鎖(日本、1946〜52)

 
なんて手もあります。「でも箪笥預金なら大丈夫?」 ふふふ甘いですね、

  • 個人が保有する貨幣価値を 90 %切り下げ(ロシア、1947)

 
こんな手を打たれたら、たとえ箪笥預金でも紙切れです。有効な対抗策は、海外に資産を逃がしておくことぐらいです。

 いざとなったとき、主権国家は遠慮なく国民に牙を向きます。その事例は歴史を振り返ればゴロゴロしている。しかも国内債務によるデフォルトのさらに悪いところは、激しいインフレを伴うことが多いことです。国内債務によるデフォルト発生年の平均インフレ率は 170%。かつ、デフォルト後数年にわたり 100% 以上に高止まりすることが知られています(p.209)。

 なぜ現実は理論が想定するとおりに動かないのでしょう? その理由は、現実のどこかに理論が想定していない歪みがあるからです。著者たちは、本書の結論としてその歪みを引き起こす根源は、「今回は違う」という人々の慢心にある、と言います(本書の原題 "This time is different" はそこから取られている)。確かに、そうした心理的要因は大きいのでしょう。昨今流行の行動経済学でも、人々の心理が経済に及ぼす影響は馬鹿にならないことを示している。しかし他方で、日本の場合は構造的な歪みも大きい。年齢構成が極端に高齢化しているため、高齢世代に「われなき後に洪水来たれ」とばかりに、逃げ切りを図るインセンティブが生まれてしまっている。著者たちが提起する次のような疑問については、日本人は完璧な答えを用意できる。

たとえば高齢者が国債の大半を保有しているような場合、若い有権者が選挙のたびに立ち上がって債務契約の破棄に賛成票を投じ、高齢者を犠牲にした若年世代向けの減税で出直しを図ることも可能なはずだが、なぜそうならないのだろうか。
(p.117)

 日本がこのままの勢いで債務を膨張させれば、いずれクラッシュする日が来る、ということは多くの人が認識している(本書も、日本の債務が異常なレベルに達していることを警告している)。かつ、そのクラッシュの瞬間はおそらく、311 の地震のように、誰もその日を予期することなくやってくるでしょう。でも、あと少し持てば逃げ切れる人たちは、そこまで長期のことを考える必要がありません。ここも、個人と国家の違うところです。個人は人生が続く限り返済する人間は借りた人間と同一ですが、国家の債務はそうではない。

 最初にあげた三つの選択肢のうち、相対的に最もダメージが軽いのは、増税であり、私も消費税の増税には基本として賛成です。増税しなければ、インフレかデフォルトのシナリオを見られてしまうぐらいには十分に若いので、賛成せざるをえない(もし私が 80 歳の老人だったら、また違う判断をしたと思う)。「日本はまだ大丈夫だ」派の人々は、「増税すると経済が悪化する」と言って増税に反対するのですが、実は増税が経済に中立であることも、リカードの等価命題から導かれる結論です。「日本は国民が十分に貯蓄をしているから国債を発行しても平気さ」と言う人には、まさにその同じ理屈によって増税にも太鼓判を押してもらわないと、事の筋目が通らない。