幸せになる働き方:御手洗瑞子『ブータン、これでいいのだ』

 本書は、コンサルタントである著者が、約1年間、ブータン政府職員として働いた経験をもとに書かれた見聞記です。実際に住んで現地の人と生活をともにした人ならではの生き生きとした描写が、ブータンの人々への暖かい共感とあいまって楽しみながらブータンについて色々な方向から知ることができます。

 ブータンは、国民の幸福度を高めることを目標とするユニークな国策(GNH)が先進国の間で有名になり、日本でも昨年、国王夫妻が訪れたことなどから知名度が高まっている国です。閉塞感に苦しむ最近の日本と対比して、ブータンを理想的な国として思い描く人も少なくない。

 私も、ブータンには興味を持っていました。それは、「ブータンの人は仕事についてどう思っているのだろう?」ということが気になっていたからです。日本も、世界的に見れば、まあそんなに悪い国ではありません。街は清潔で犯罪率は低く、インフラは整備されており医療水準も高い。これで仕事さえもっと楽なら、日本人も幸せになれるのにな、と思っている日本人は多いと思います。日本の労働時間の長さと生産性の低さは、先進国の中でも際立っており。そのことは、労働者の仕事に対する満足度の低さの一因にもなっている。不況の煽りをまともに食らった若年層の間では、人権を無視して労働者を酷使する「ブラック企業」への怨嗟は、共通了解の事項となっています。

 まあそういう特殊日本的な事情はおくとしても、仕事というのは、多くの人が人生の大半を費やす活動です。だから、仕事から充実感を得られるかどうかは、幸福度とも強く結びついているはずです。ならば、国民が口を揃えて「幸せだ」というブータンの人は、幸せな働き方をしているに違いない。

 そんな好奇心をもって本書を読んだのですが……うーむそうですか。そういうことでしたか。

 まず、「ブータンの人は仕事をどう思っているか?」という私の疑問への答えは、書いてありました。著者もブータンの労働状況について本格的な調査をしているわけではないのですが、それでも興味深い報告をしてくれています。誤解を承知で単純化してしまうと、ブータン人の仕事に対する態度は、

 自分の好きな仕事しかしない。

これに尽きるようです(著者がブータン人に仕事について訊ねた時、答えは大抵「ブータン人はプライドが高いから、ブルーカラーの仕事はしない」(p.155)というものだったそうです)。このせいで、ブータンの失業率は高く、20代前半では 20% を超えます。また、普通に考えて世の中、そんな都合よくホワイトカラーの仕事だけで回るか? 回るわけがない。当然、ブータンにも汚れ仕事があります。ではそういう仕事は誰がやるのか。この答えが、ブータン人の意外なドライさを象徴するのですが、それはインド人なのです。

 近年、ブータンでは、特に首都であるティンプーを中心に、アパートやホテルの建設ラッシュになっています。いつも見かける建設工事。そこをよく見ると、竹でできた不安定な足場に上り、十分な安全設備もない中でコンクリートを流し込み、過酷な作業をしているのはほとんどインド人です。
 ……オフィスやトイレの掃除をしているのも、たいていインド人です。ある時、ブータンの友人たちが公衆トイレの汚さに文句を言っていました。そこで私は「そもそもなぜ、みんなあんなに汚く使うの? 汚したら、自分で掃除したりしないの?」と聞いてみました。すると、みんな気まずそうに沈黙してしまいました。少し間が空いた後、一人がぼそっとつぶやいた言葉は「だってそれは、インド人労働者の仕事だから……」でした。(p.155)

 ブータンとインドは隣国ですが、一人当たり GDP で比較するとインドの方が貧しいため、ブータンにはインド人の出稼ぎ労働者が大勢来ているのです。ブータン人は、彼らに 3K 仕事を押し付けた犠牲の上に、見栄えの良い仕事だけをチョイスして「ボクは幸せだなあ」と言っているという、一種の差別の構造が存在しているわけです。冷静な著者は、そういうブータンに都合の悪い事実もきちんと観察している。

 日本の場合、言葉の壁もあって、外国人労働者労働市場においてそれほど大きな比率を占めません。代わりに日本では、よく知られているように、正規・非正規という区別によって日本人内部で同じような階層分化が生じています。日本も、外国人労働者をもっと呼び込んで彼らに 3K 労働を押し付けたら、大手を振って「幸せです」と言えるようになるのかもしれない。でもそれは、自分たちと「彼ら」はもう別の存在で、共感や同情を持つ余地はないのだ、と認めることでもあります。

 ブータンの人々のインド人への接し方を見ていて、違和感を抱くことがあります。それは、ブータンの人たちがインド人に対して、ほとんど「思いやり」の感情を見せないことです。
 ブータンの人たちは慈悲深く、家族や友人はもちろん、たとえ知らない人であっても困っている人には積極的に手を差し伸べてくれるところがあります。 ……しかし、例えば、建設現場の横に広がるインド人労働者の簡素な住居を見ても、炎天下に十分な道具もなく道路工事をしているインド人の女性や子どもを見ても、一緒にいるブータン人は、いつも何も感じていないように思えます。目に入っていないのかもしれません。(p.156)

 こうしたブータン人を、インド人側から見れば、彼らの GNH というスローガンはただの偽善、よく言って先進国向けの観光的リップサービスにしか見えないかもしれない。幸せな働き方などやはり簡単に見つかるものではなさそうです。

2012/05/07追記:
 このエントリを読んで、「ブータン人がインド人に冷たくて幻滅した」という感想を持った方もいるようなので、少しブータンをフォローしておきます。というのも、ブータン側から見ると、インド(およびインド人)も十分に尊大なところがあるからです。国力で比べれば、人口 12 億のインドと 70 万人のブータンでは、そもそも相手になりません。かつ、ブータンはその財政を少なからずインドの援助に頼っています(2008年の国家歳入の実に 21% がインドからの援助)。インド人の中には、ブータンというのは自分たちが食わせてやっている「属国」のように思っているのではないか、という態度を取る人間がいることは、本書でも指摘されています。
 そのような理由もあり、ブータン人はインド人に複雑な感情を抱いているようです。少なくとも、親しみを持てる隣人とは思っていないようです。自分たちが優位に立てる状況においては、インド人をこき使ってやろうと思っても ―― ブータン人が本当にそう思っているかは分かりませんが ―― それは、人間の感情の動きとしてそれほど不思議なものではないと思います。

 もちろん、そのことと、誰かが貧乏くじを引かねばならない労働市場の構造問題とは、また別問題ではあるのですが。

 ちなみに、本書のもとになった文章を、著者の日経BPの連載で読むことができます。また、ブータンにおける労働市場の二重構造については、『Economist』でも取り上げられています。