ゼロリスクという無限遠点

昨年8月に小池百合子氏が都知事に就任して以来、常に大きな課題であり続けた豊洲市場は、都知事が豊洲移転の容認に傾いたことでほぼ政治課題としては決着したようです。豊洲の土壌や地下水から基準値以上の化学物質が検出されたことが話題となりましたが、結局は直接的な健康被害を与える水準ではない、というところで科学的なコンセンサスも(時間がかかったとはいえ)形成されたように思えます。

今回の豊洲市場問題でも大きな焦点となった「社会的にリスクをどこまで許容するか」という問いは、東日本大震災のときに食物などの放射能汚染が懸念された際にも大きくクローズアップされました。「ゼロリスク以外は許せない」という人々の心理が政治的決定(あるいは混迷)に大きく寄与したのも、両者の共通点です。

ゼロリスク願望について、私はこれまで、日本人がリスクとベネフィットに基づく意思決定を求められたときに顔を出す特異な心理的傾向だと思っていました。私はシステム開発を仕事にしているのですが、日本のユーザがシステムの信頼性にかなりのこだわりを見せる、すなわちシステムダウンというリスクを非常なコストをかけてでもゼロに近づけたがることを知っているので、おそらく日本社会に特有のある種の文化なのだろう考えていました。

しかし、最近、環境工学の研究者である中西準子氏の豊洲移転問題に関するインタビューを読んで、少し考えさせられました。

いよいよ移転へ、豊洲の安全性は本当に問題だったのか? 小池都知事、メディアがリードしたおかしな議論
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中西氏は、豊洲の環境状態が大きな健康被害に結び付く状態ではなく、豊洲移転を阻む理由にならないというまっとうな科学者としての見解を表明しているのですが、意外だったのは、科学的リテラシーの欠如の証拠としてしばしば科学啓蒙クラスタから攻撃を受ける「ゼロリスク願望」について、社会運動の方法論として一定の評価を与えていたことです。

1960年代〜70年代のことです。私も下水処理場静岡県の田子の浦港のヘドロ公害などの調査、反公害運動に関わってきました。
 
田子の浦の光景はいま思い出しても衝撃的です。川も港も茶色で、川からぶくぶく泡がでているんですよ。
 
ヘドロ汚染の原因となった製紙工場を相手に漁師がデモをしている。現場にでて、調査をして企業や行政の問題点を指摘した提言をまとめたものです。
 
公害によって多くの人が亡くなり、生活環境や健康に問題を抱えていた時代です。
 
私は、こんなことではいけないと思い、今から考えれば、笑ってしまうような稚拙な調査ではありましたがファクトをかき集めて、対策を求めるということを繰り返していました。
 
政治の側は環境と「経済の両立」なんて言葉を使おうとしていましたが、そんなことを言っているようでは人の命を救えない、という時代でした。
 
あまりにも大きなリスクが目の前にありました。ゼロリスクを目指す気持ちで、公害対策を進めないとどんどん人が命を落としていく。甘いことはいっていられない、と私は考えていたのです。
 
リスク削減のために、他のことを考えずに邁進しても間違いがない、という気持ちでした。

中西氏は、よく知られているように早くから公害問題に取り組み、ファクトベースのリスク評価を武器に、国家や企業を敵に回して戦ってきた人物です。そうした当事者から、ゼロリスク願望が社会運動に果たしたポジティブな影響が語られるというのは、少し驚きでした。

しかし考えてみれば、「戦争の廃絶」や「核兵器の完全放棄」など、およそ達成不可能に思える目標を掲げることで、運動を不断にドライブする推力とするというのは、日本だけにとどまらず世界的に左翼や革新勢力が採用する古典的な戦略です。私が知る限り、この戦略を定式化した一番古いテキストは、エマニュエル・カントの「永遠平和のために」です。

1795年、フランス革命の混乱のなか、各国が紛争を繰り返すのを見たカントは、個別の戦争の調停を目的にしていた当時の和約方式では戦争による消耗によってヨーロッパ全体(それは当時「人類全体」とほぼ同義でした)がジリ貧になるという危機感から、永遠平和を目的にした抜本的な対策を提唱します。常備軍の廃止、戦争国債の発行禁止、内政不干渉の原則、スパイ行為、テロ・暗殺の禁止、国際的な連合組織の設立など、近代国際政治の基礎となっている制度から、現在でも夢想としか思えない提案まで様々です。

カント自身は夢想家とはほど遠く、こうした達成不可能な目標は、現実の漸進的な改良に寄与するだけでも有用なのだ、という「方法論としての理想主義」を主張しています。「永遠平和のために」は有名な次のような文章によって締めくくられています。

公法の状態を実現することは義務であり、同時に根拠のある希望でもある。これが実現されるのが、たとえ無限に遠い将来のことであり、その実現に向けてたえず進んでいくだけだとしてもである。だから永遠平和は、これまでは誤って平和条約と呼ばれてきたものの後につづくものではないし(これは単なる戦争の休止にすぎない)、たんなる空虚な理念でもなく、実現すべき課題である。この課題が次第に実現され、つねにその目標に近づいていゆくこと、そして進歩を実現するために必要な時間がますます短縮されることを期待したい。

リアリスト、と評してよいでしょう。他の凡百の夢想的なテキストと異なり、本書が古典として読み継がれる理由でもあります。

「方法論としての理想主義」は、その後多くの社会改良運動に戦略として取り入れられていき推進力を生むエンジンとして機能しますが、ゼロリスク願望にもまたそうした積極的な意義をもった時代があったのか、というのが、中西氏のインタビューを読んで得られた気づきでした。もっとも、カントも党派的な正義を振りかざして政治ショーをやるために自分の方法論が使われていると知れば墓の下で怒ることでしょう。そろそろこの方法論にもアップデートが必要な時が来ているのかもしれません。