労働とセックスの怪しい関係:玄田有史・斉藤珠里『仕事とセックスのあいだ』

 現在の少子化の一因は、労働環境の悪さにあるのではないか、という意見は、前からたびたび出てはいました。誰だって毎晩10時、11時まで働いてクタクタに疲れて帰ってきた後にセックスに励む元気なんてないし、90年代以降の不況で、一人あたりの労働時間が大きく増加したことも、きっと悪影響を及ぼしている。また、キャリア志向の女性の場合、出産や育児が仕事の邪魔になるので二者択一を迫られたら、どちらかを諦めるしかない。労働環境が少子化に一役買っているという疑惑の状況証拠は、かなり出揃っています。

 でも一方で、今までこの意見は決して大きな声になることはありませんでした。その理由は大きく三つあります。

 一つは、まあ当たり前の話。この意見を認めてしまうと、「少子化の原因は企業にあり!」ということになって、企業が社会悪になってしまい、社員をコキ使うことができなくなる。メディアだって企業なんだから、自分で自分の首締めるような意見は取り上げられません。

 二つ目の理由は、少子化問題というのは、物理レベルで言えばセックスの問題なのだけど、これをおおっぴらに話題にすることが何となく憚られる。少子化を食い止める方法は、端的に

  • 「もっとセックスをしろ」
  • 「避妊をするな」
  • 「中絶をするな」

の三点に集約できますが、こういうことを社会政策のレベルであけすけに議論できないので、もってまわったような言い回しばかり増える。でも政治家も心の中では分かっているから、大学生の連続レイプ魔を見て「元気があってよろしい」とかつい本音をこぼしてしまう。

 そして最後の理由。この「労働環境悪玉説」には状況証拠が揃っている、と書きましたが、逆に言うと状況証拠しかないのです。著者の玄田も「仕事とセックスの関係なんて、ほとんど誰も検証すら出来ていない」(p.197)と言うとおり、決定的な論拠に欠ける。なぜ検証できていないかというと、そもそも仕事とセックスについての調査がほとんどないため、議論の土台にできるデータが存在しないのです。数少ない例外としては、NHKが1999年に実施した『性に関する実態調査』があるけど、これにも労働関連の項目は含まれていない(しかし NHK もよくこんな調査したな)。

 それじゃあ一体、本書はどんなデータを使うのかというと・・・・・・驚くなかれ、何と雑誌『アエラ』のアンケート調査。ええっ・・・そりゃ確かに『アエラ』に限らず女性向けの週刊誌はセックス特集がお家芸だけど、そんなデータ、本当に信頼できるの? 母集団が少なすぎ & 偏りすぎじゃないの? 統計の世界には「garbage in, garbage out」という格言があります。「ゴミのようなデータからはゴミのような結果しか出ない」という意味です。出発点を間違えると議論全体があらぬ方向へ行ってしまう。統計のプロである玄田も、その点は重々承知している。

 でもこれしか手持ちの道具がない以上、贅沢も言ってられません。この本がきっかけになって、いずれもっと厳密な調査が行われるかもしれない。それに、『アエラ』のアンケートには画期的な点もあるのです。従来の調査員が家を一軒一軒回って聞くやり方では、「週何回セックスしますか?」とか「避妊はしてますか?」とか「配偶者以外としていますか?」なんて質問ぶつけるのは、そりゃあ難しい。『アエラ』がまがりなりにも調査を成立させられたのは、インターネット上で行ったことが大きい。これなら面と向かって答えるよりも、回答者の心理的負担は軽くなります(その代わり、「インターネットが使える層」に母集団を制限してしまうが)。

 というわけで、データの信頼性に一抹の怪しさが残るということに留意しつつ、セックスと労働の関係についてどんなことが言えるか検証していこう、というのが本書の主旨です。著者の玄田は労働経済学者。ちょっと若者びいきでニートやフリーターに甘いのと、「昔は良かった」的な懐古趣味が目につくけど、基本的には誠実でいい仕事をします(『仕事の中の曖昧な不安』が何といっても素晴らしかった)。もう一方の斉藤は、私は初めて知ったのだけど「『アエラ』の名物セックス記者」だそうな。大学時代にアメリカに渡り、帰国後に朝日新聞社で記者として働くというキャリアウーマン人生を送っていたけど、30過ぎになって急に孤独な老後が怖くなり、36歳で結婚。40歳までに3人の子供を産んで勝ち犬に華麗な転向を果たす。「人生は一度きり。やった者勝ち」(p.155)が信条とのこと。

 本書は、この2人が交互に章を担当して、玄田が統計分析の結果をもとに高所から全体の傾向を俯瞰し、斉藤が取材や自分の体験談を交えつつ、読者が実感をもてるよう、あの週刊誌の地べたを這う筆致そのままに下世話な(でも下品の寸前で止まるあたりはさすがにプロか)話をする、という構成になっています。この目論見は大いに成功していて、統計分析の報告というのは、ともすると抽象的で無味乾燥になる欠点を抱えるのですが、最後までダレずに読める。

 さて、それでは肝心のセックスと労働の関係性はというと、これはもう、ほぼ完全に黒です。二人はデキてますね、ええ。しかも存外、多面的で深いつながりを持っている。

 まず、長時間労働と出産人数の間に相関関係はある(p.69)。女性が社会進出を進めたことが少子化の元凶と言われることがあるけど、そういう傾向は一切確認できない。むしろ、妻もほどほどに働いた方が、セックスレスになりにくい(p.72)。また、仕事上の挫折経験が、セックスレスにも影響を及ぼしているという、「当初まったく予想もしていなかった、思いがけない関係」(p.76)も浮上してきます。この直接的な原因は、正直、なかなか分かりにくいのだけど、玄田は、子供がいないときに仕事に対してネガティブな経験をもつと、子供を持ちながら仕事上の困難を克服していくことに自信をなくすのかもしれない、という推測を述べています。そしてさらに、「職場の雰囲気」なんていう、漠然とした要因までもが、セックスについての個人の心理を左右することが示唆されます。

どうやら私たちの働き方、そして職場や仕事のあり方というものが、私たちの根っこの深い部分で、個人の性生活に無意識のうちに大きな影響を及ぼしている。失業など仕事をする上での苦しかった経験があったり、日常的な職場の雰囲気に不満を感じていたり、経済的に苦しかったりする個人ほど、セックスレスになる可能性が高くなっていることが、複数の統計調査から明らかになった。(p.174)

 そしてもう一つ、未婚者にとっての問題。少子化というのは、主に既婚者の問題と受け取られがちですが、それは問題の半面に過ぎません。第7章では、かつてのように職場が「出会い」の場でなくなったことによる、若年独身層の問題が論じられます(この章は玄田の問題意識がよく出ている)。「独身者のうち、特にセックスの頻度が少なくなっているのは、なんといっても無業状態にある人たちである」(p.182)という結果が語るように、不況によって安定した仕事に就くことのできなかったニート、フリーター、派遣社員たちは、経済的に苦しくなっただけでなく、セックスや結婚の機会をも失った。こういう損失は、元々持っていた物をなくすのではなく、「最初から手に入らない」という形をとるため、なかなか損失であることに気付きません。玄田はさすがに本職の経済学者なので、この手の機会損失も敏感に察知します。

 本書が提起した問題と、分析の結果得られた洞察は、少子化対策に本腰を入れたいならば必ず考えねばならないものになるでしょう。少子化を食い止めるには、特に若年層に対する労働環境の整備が効果的なのです。正社員として雇い、無駄な残業を減らし、雰囲気のよい職場を作り、過度の仕事上のストレスもかけない。財界の方々や中高年はこれ聞いて顔をしかめるでしょうが、なに、子作りは国家百年の計です。ちょっとぐらい我慢してください。そういうスケールの大きい話すきでしょう? 日本の若者たちは、あなた方の仕打ちに耐えて、厳しい環境の中けっこう健気に頑張ってきたのですから。もう少し大事にしないと、バチがあたりますぜ。少子化は、若者からあなたがたへのカウンターパンチだったのだから。