天皇にも基本的人権を:小谷野敦『天皇制批判の常識』

 天皇制と聞いて普通の人が持つイメージというのは、女性週刊誌がよく特集しているような、徹底的に瑣末なエピソードの寄せ集めとか、「下手なこと喋ると右翼から家の窓に弾丸打ち込まれるかも」という得体の知れない漠然とした不安とか、その程度のものです。みんな何となく、天皇制というのは触らずそのままにしておいた方が無難だ、と腫れ物を扱うような感覚で考えている。でも、天皇制の問題なんて別に難しくもなんともありません。こんなことにいつまでも飽きもせず話を続けられる方が、不思議なぐらいです。

 天皇制の本質は、それが王制の一種であることです。生まれによって区別される特別な王族の人々がいて、その人たちは出生の時点から優遇されており、他の国民とは全く異なる人生を歩むことが運命づけられている。「人は社会的身分又は門地により差別されることがあってはならない」という、近代の人権思想が掲げる機会均等の理念に、真っ向から反対する制度、それが天皇制です。アメリカの人気アニメ『ザ・シンプソンズ』で、ダメ親父のホーマーが国技館に相撲をみにきた天皇を投げ飛ばすエピソードがありますが、町山智浩氏も言うように、人権と共和制の国アメリカが天皇制に批判的なのは、当然のことなのです。

 天皇制の存続に批判的な人の中には、昭和天皇の戦争責任を論拠として持ち出す人がいるけど、そんなのはどうでもいい話です。著者も言うとおり、もしそういう方向に話を持っていくと、戦争に加担していない天皇ならいてもいいのか、ということになってしまう。戦争責任は、天皇制を批判する絶対的な理由になりえない。天皇の存在が現代において認められない理由は、そんなものではなく、天皇制が近代的な人権思想と相容れない身分制だからなのです。

 たとえば中学校などで「同和教育」というのが行われている。そこで教師が「人を生まれで差別してはいけない」と教えた時に、では天皇皇族はなぜ生まれで特別扱いを受けているのですか、と生徒が問うたら、教師はどうするだろう。差別というのは下に見下していじめたりすることだ、というだろうか。だが、生徒の中には、上において特別扱いするのだって差別ではないか、という思いが渦巻くだろう。
 それはそうである。たとえば生徒の中に、金持ちの息子とか、教育長の娘とかがいて、どうも先生はあの子に甘い、贔屓している、と思うことだってあるだろう。(p.105)

 こうした身分制の弊害を受けているのは、当の天皇家の人々も同じです。この人たちは、基本的人権を大きく制限されている。民主主義国家としては信じられないことに、天皇には参政権もないし、思想・信条の自由も極めて限定的です。職業選択の自由も転居の自由もないに等しい。天皇には「そろそろ皇居にも飽きたのう。沖縄あたりで隠居したいんじゃが、普天間あたりどうじゃろう?」と言う権利がない。

 少し前、外国人に参政権を与えるかどうかが国会で議論されたことがありました。もし日本に長く居住して、日本人と変わらないぐらい日本にコミットしていることを理由に外国人に参政権を与える主張をしたいなら、その人は同時に天皇にも参政権を与えることを主張しないと論理的に筋が通らない。だって天皇は、もう何代にもわたって日本に住み、かつ未来永劫、外国に居住することも許されないのだから、日本に対するコミットの度合いは、どんな日本人よりも強い。外国人に参政権を与えて、この人に参政権を与えないなんて、最低のダブルスタンダードと言うほかありません。

 以上のことから、天皇制に対する態度というのは、二種類しかありえないことになります。

 (a) 天皇制の廃止に賛成:天皇皇族には私人になってもらう。純粋にただの一国民となるので、基本的人権も保障される。選挙にも行ければ職業も選べる。ただし国費で養うようなことはせず、宮内庁も解体する(事業仕分け行きだな)。著者の立場はこちらです。私もこっちに賛成。

 (b) 天皇制の存続に賛成:近代の人権思想なんて嘘っぱちなので信じてはならないと断言する。人は生まれによって差別されていいし、基本的人権が保障されない人間もこの世にいてよいのだ、と子どもたちに教える。身分制万歳な前近代的立場。著者は「天皇制を支持する人に差別を批判する権利はない」と言うけど、全くその通り。

 (b) は、近代においては「反動」と呼ばれ、抵抗勢力扱いされます。しかし論理的には一貫しており、その限りでは維持可能な主張です。もっとも、現実的に「私はこちら側だ」と旗幟鮮明にしている勇敢な人は少ない様子で、存命の論客では長谷川三千子が、「私は人権思想を認めない」として天皇制を擁護している程度だという。

 ところで、この問題には、もう一つウルトラC的なソリューションが、あることはあります。それは次のような立場を支持することです。

 (c) 天皇皇族は人間ではない。だから、人権という概念は適用されないので、差別にもならない。

 著者の眼中にはこの荒唐無稽な選択肢は入っていないでしょうが、でもこの方法には実績があります。50年前の日本人は、天皇を「現人神」と呼んでこの解決策を選択していたのです。みんなこの人の名前を口にしながら死んでいったのだから。今でも天皇崇拝家の中には、天皇を人間ではない存在だと思っている人はいるでしょうし、何よりも今の憲法には天皇基本的人権について明記された箇所がないため、人間であるかどうかはともかく、憲法天皇を日本国民扱いしていない可能性が高い。でもそれならそうとやっぱり明記してほしいところです。

 どうです? 天皇制なんて、簡単な問題だったでしょう。皆さんは、三つの立場のどれを支持しますか?