消極的リーダーの戦争責任:勝田龍夫『重臣たちの昭和史』

毎年8月15日が近付くと、各地で戦没者慰霊の式典が営まれたり、メディアが回顧の特集を組んだりして、私たち日本人はいやおうなしに太平洋戦争について考える機会が多くなります。すでに終戦から半世紀以上経過し、当時の状況をリアリティを持って把握することが難しい私のような世代にとって、どうしても納得のいく解答が出ないのが、次の疑問です:

なぜまったく勝機のない戦争(特に対米戦争)を始めてしまったのか。




この疑問について考えようとするとき、必ず出てくる説明の一つに「太平洋戦争は避けられない自衛戦争だった」というものがあります。この主張は、東京裁判東条英機も述べており、当時からこういう認識は日本の指導層の一部では共有されていました。また、太平洋戦争について振り返るテレビ番組の特集などでも、米国の対日禁輸や野村=ルーズベルト会談の調整失敗あたりから説明を開始するものがあり、そういう短期的なスパンで見ると「米国の陰謀に嵌められた」ような印象を受けやすいのも事実です。

しかし、日米開戦をゴールとして見た場合、こうした出来事はすでにゲームの終盤に差し掛かってからのダメ押し点みたいなもので、実際はもっと前から着実に日本は軍事と外交の両面で失点を重ねてきたし、米国も長い時間をかけて日本に対して不信感を募らせていたというバックグラウンドを見過ごすことになります。

東条英機は、開戦を決断し、戦中もずっと首相を務めたということで、今日では戦犯の代表格のような扱いを受けていますが、開戦に至る長い長い伏線を考えると、もうほとんど選択肢が残されていない中で貧乏くじをひかされたようなものです。本当は、彼にバトンを渡す前に前に開戦への道を舗装した「戦犯」がいる――近衛文麿。それが本書の最重要人物です。

近衛文麿は、あまり強い印象を残すタイプの政治家ではありません。五摂家筆頭の華族出身で、若くして首相となり計三回も内閣を組閣したほど、当時は大衆的な人気がありました。強いパーソナリティや確固たる主義主張は持っておらず、若いころはワイルドの「社会主義下の人間の魂」を翻訳して社会主義に傾倒したり、ナチスが台頭してからはヒトラーのコスプレをやってリベラル派の顰蹙を買ってみたり、後見役の西園寺公望からは腰の据わらなさについていつも苦言を受けていました。

彼の政治家としての姿勢を一言で要約するならば「妥協」です。英米との協調と陸軍の抑制を望む天皇や西園寺の期待を受け、本人としてもそれが最善だと頭で分かっているものの、時にテロも辞さずの姿勢で高圧的に押してくる陸軍の暴走を、結果的に容認する政策を次々に打ち出すことになります。日中事変の拡大、日独伊三国軍事同盟、国家総動員法の施行、大政翼賛会の結成など、日本が国際社会から孤立し、中国および米国との対立を決定的なものとする事件は、すでに近衛内閣に用意されていました。天皇の側近で、近衛と東条をどちらもよく知る木戸幸一が「東条は最後にどうにもならなくなってから責任を押し付けられただけで、日米開戦は近衛が準備した」と評するゆえんです。

もちろん、近衛としても好きで陸軍に妥協を重ねたわけではありません。当時は、陸軍に毅然と抵抗する政治家がテロによって次々に殺されることが日常茶飯事だった時代です。浜口雄幸高橋是清井上準之助犬養毅といった見識と意志を兼ね備えた政治家たちは、いずれもテロにより「排除」され、元老の西園寺が「天皇のそばに人なし」と嘆く事態になる。近衛としては、自分まで死ぬわけにはいかないという思いもあったでしょう。しかし、政局が行き詰まりそうになるとすぐに内閣を放り出して「仏門に入る」とか言い出したり、およそ粘り強さとか不退転の意志といった困難な時代の政治家に不可欠の資質は持っていなかった。近衛は終戦後、結果的に自らが開戦への道を用意したことを後悔し、A級戦犯に指定されると、東京裁判を待たず自殺しました。今日、彼の印象が薄い理由は、東京裁判で裁かれなかったということも関係している。

私たちは、ともすると戦争というのは独裁者のような狂気を帯びた強いリーダー(ヒトラーのような)が国民をうまく誘導し、また狡猾な敵国の術策によって追い込まれることで起きると考えがちです。しかし実際は日本の場合、「弱いリーダー」が妥協を重ねることによって、誰も望まなかった――当の陸軍ですら、米国との戦争は大勢が反対だった――最悪の結果に導かれるというパターンが多い。「こんなつもりじゃなかったが、仕方なかったのだ」という言い訳を、破綻した国家的プロジェクトのリーダー格の人物たちから聞くことは、新国立競技場建設の失敗を見るまでもなく現代の日本でも珍しい光景ではありません。

独裁者の狂気よりも消極的リーダーの無責任が怖いのは、それがあまり目立たず、時にポピュリストとして大衆的な人気を博しながら根幹を蝕んでいく病魔であることです。このような見えにくいリスクを、私たちはもっと警戒した方がいい。