あなたの知らない東京裁判:日暮吉延『東京裁判』

今月は終戦記念日に加えて首相の戦後70年談話も発表されたり、玉音放送の原版が公開されたりと、太平洋戦争を回顧する取り組みが例年より多く行われました。70年という節目の年でもあるし、安保関連法案の国会審議が紛糾しているという背景もあって、右も左も議論が盛り上がっています(9月に入ると潮が引くように落ち着くのがまたなんとも、というのはあるにせよ)。

このブログでも、先日のエントリでは太平洋戦争の開戦へ傾いていく政府首脳の心理と動向を追った書籍を紹介しました。

消極的リーダーの戦争責任:勝田龍夫『重臣たちの昭和史』 - ミックのブログ

今日は、戦後の出来事に焦点を当てた本を紹介したいと思います。

東京裁判 (講談社現代新書)

東京裁判 (講談社現代新書)

東京裁判は、太平洋戦争に関わったすべての国が立場は違えど参加し、判決を下したことでこの戦争の歴史的位置づけをかなりの程度決定づけたイベントでした。もっとも、勝者が敗者を裁いてどこからも批判が出ない結論なんか出るわけがなく、今でも裁判のプロセスや結果に対して日本国内から批判的な意見が折につけ噴出します。自民党など、安保法案改正で米国との関係を強化しつつ、裏では東京裁判「検証」する取り組みを開始するなど、わかりやすい面従腹背ぶりを発揮しています。

実際、東京裁判はプロセスとして公平とはいいがたいうえ、ステークホルダーが多く情報も錯綜する中で実施されたため、その全貌を把握するのは骨が折れます。そこで、本書に沿って東京裁判の気になるポイントを見ていきたいと思います。本書は思想的に偏ることなく実証的に東京裁判の内幕を整理した労作(サントリー学芸賞受賞も納得)です。

何でそもそも裁判をやることになったのか

私たちはすでに、東京裁判が行われたことを知っているので違和感を持ちませんが、戦争について裁判を行うというのは、当時としては異例でした。戦闘における残虐行為など国際法違反があった場合は別ですが、当時の国際法や条約において「戦争を開始した」ということを犯罪に問える根拠はなかったのです。実際、第一次世界大戦では戦勝国敗戦国を裁く法廷は開かれていません。パリで講和会議をやっただけです。まあ、そこでドイツに懲罰的な賠償金をふっかけたのだけど、でもやっぱり会議であって裁判ではない。もちろん、日清戦争でも日露戦争でもやってない。この根拠のなさは、後に裁判全体を通じて論争の種となる「事後法」問題につながっていきます。

この無理スジを強引に通そうとしたのが、米国のスティムソン国務長官トルーマン大統領などの一派です。彼らの考えは、ナチスや日本の軍国主義者を「邪悪な犯罪者」として裁くことで、今後の世界の安全保障に寄与するというもので、前代未聞の裁判を積極的に推進しました。

しかし、連合国がみんな裁判に賛成だったわけではありません。

たとえばマッカーサーは、「戦争を犯罪とする根拠に乏しい」として、国際裁判などという大舞台で日本を裁くのに反対でした。彼が反対したのはまた、南北戦争の例から、そのような勝者の裁きを行えば、絶対に心理的禍根を残して日本統治に影響を及ぼすという懸念があったようです(実際、いまでも米国南部では北部への反感が消えていない)。占領軍司令官という現場の責任者らしい、現実的な意見です。

またイギリスは、東京裁判に先行して行われたニュルンベルク裁判のときから裁判という形式に反対で、長期間を要する裁判でナチに宣伝の機会を与えるぐらいなら即決処刑すればいい、という荒っぽい主張をしています。さすがに東京裁判のときには即決処刑論はひっこめていましたが、米国の強引さにいやいや付き合うという姿勢でした。

天皇の訴追をすべきか

しかし、同じ英連邦内でありながら、本国と違って裁判に積極的だったのがオーストラリアです。本書によれば「日本の懲罰に最も熱心」(p.65)な国だったそうです。現在の日豪関係の良好さから見ると、ちょっと意外じゃありません? 先日共同で潜水艦開発を行うというニュースが流れたほどのマブダチです。

エラーページ - 産経ニュース

オーストラリアがなぜそんなに日本憎しとなっていたかといえば、それは戦争中、南半球に燎原の火のごとく進駐してくる日本軍に震え上がっていたからです。大日本帝国の最大領土は、パプアニューギニアまで広がっており、オーストラリア本土は目と鼻の先でしたし、航空機による本土爆撃は行われていました。南半球でイギリスからもアメリカからも遠いオーストラリアは、迫りくる日本の脅威に怯えて過ごすしかなかったのです。日露戦争前夜、ロシアの南進圧力に怯えていた日本の心情に近いものがあるかもしれません。

そのオーストラリアが、日本が二度と軍国化して自分たちの脅威とならないようにしようと考えた方策、それが天皇訴追でした。

一方、同じ英連邦でもニュージーランドはもう少し冷静で、天皇を占領政策に利用している以上、温存した方がやりやすいという判断で、オーストラリア案に反対しています。米国内では議論があったものの、マッカーサーらも同意見で、天皇個人がリベラルな平和指向を持つ人物であることを確認して、むしろ温存して統治に利用する方針でした。また、もし天皇を法廷に呼んでしまうと「全責任は朕にある」という爆弾発言をして他の全被告を救おうとする選択をしてしまうかもしれない、という懸念も持っていたようです。高潔な人格ゆえに行動が計算できないことが恐れられていた、ということです。

「平和に対する罪」は事後法か?

上でも書いたように、当時は戦争の開始および遂行を罪に問える法律的根拠がありませんでした。普通はこの時点で裁判は無理という判断になるものですが、米国は主犯格の政治家や軍人を有罪にするためにアクロバティックな手段に訴えます。これが名高い「平和に対する罪」という犯罪概念の創出です。侵略戦争を企図し、推進した者に適用される罪で、いわゆるA級戦犯は、この罪状で起訴された被告たちです。

通常、法実証主義に基づく近代法では、このように後から作った法律や犯罪概念をもって過去の行為を裁くことは認められていません。それをやったらどんな行為でも時の為政者の都合のよいように有罪に出来るからです。

この事後法に驚いたのは、被告だけではありません。イギリス代表検事として参加したアーサー・コミンズ・カーも「これは事後法ではないか」という疑念を持ち、「とんでもない仕事になる」と漏らしています。またオランダ代表判事レーリンクなど、判事団の中にも「平和に対する罪」だけで死刑に持っていくのは厳しいという見方をする者がありました(事実、この「平和に対する罪」では結局、誰も死刑になりませんでした)。

弁護側もこの矛盾を見逃すわけがなく、開廷直後に早くも「平和に対する罪」は事後法ゆえ無効だという動議を提出しています(速攻で危棄却)。高柳賢三弁護人も、最終弁論で「事後法を排除しなければ、むしろ被告たちはアジア解放の殉教者として名を残すだろう」と批判しました。

また、「平和に対する罪」は諸刃の剣となって連合国側も苦しめました。東郷元外相などの弁護人をつとめたブレイクニは「もし日本の真珠湾攻撃戦争犯罪なら、日ソ不可侵条約を破って対日侵略を開始したソ連だって裁かれるべきだ」というぐうの音も出ない正論を主張して判事を困らせます。事実彼の言う通り、帝国主義の支配する国際政治のプレーヤーであれば、脛に傷を持っているのはお互い様です。日本の満州事変を「謀略によって他国を侵略した」と非難するならば、米国のハワイ併合(ハワイ事変)だって訴追されなければならない(米国がハワイ併合を違法な謀略によるものだったとして謝罪声明を出したのは、ずっと下って1993年のクリントン政権のとき)。従来、戦争が犯罪化されていなかったのは、この「どっちもどっち」という事情もあるに違いありません(ブレイクにはまた、「真珠湾が犯罪ならば、原爆投下はどうなのだ」と発言して法廷をざわつかせたことでも知られています)。

しかし、パワーが支配する国際政治の場で、このような「お互い様論理」は通用しませんでした。論理が力で捻じ曲げられる様をあからさまに見せつけられたこともまた、東京裁判が不当なものだという印象を強くしています。

インドのパル判事はなぜ日本を無罪にしたのか?

四面楚歌の東京裁判で、唯一判事団の中で日本の味方をしてくれた(ように見える)ことで、日本で絶大な人気を博すパル判事。「よく言ってくれた!」「わかる人には大東亜戦争の正しさがわかるんだ!」と感涙にむせぶ日本人がいる一方で、このパル判事がどういう理由で「全員無罪」の判決を下したのかは正確に理解されていません。

本書はこれについても、パルとインド政府の立場の違いや、パル自身の信条といったところまで踏み込んでかなり詳しく解説してくれています。実は、パル判決の根拠は、ある意味でものすごく簡単で、かつドライです。それは、さっきから取り上げている「平和に対する罪」が事後法だから、以上。というものです。ここで重要なのは、パルは「日本は悪いことをやったのではない」と言っているのではないことです。日本がやったことは道義的にはよくないことなんだけど、その行為を裁く法律がない。だから無罪。これを示すパル自身の言葉が引用されていたのでっ紹介します。

満州における日本のとった行動は、世界はこれを是認しないであろうということはたしかである。同時にその行動を犯罪として非難することは困難であろう。

時々ニュースでも見ますよね。明らかに悪いことやってんだけど、それを裁く刑法が未整備だから罪に問えないという・・・パルは日本の戦争もそれと同じだ、という冷たいリアリストなのです(ただ、そこにパル自身の反西洋主義も加わっているだろう、という洞察も本書が行っていることは付け加えておきます)。

なお、インド政府はこのパル判決を見て「連合国にたてつくなんていらんことしやがって」と憤慨したそうですが、「あれはウチの総意じゃなくて、空気読めないはぐれ者の一意見でして・・・」とうまく連合国のご機嫌とりつつ日本には恩を売るという、なかなかの外交巧者ぶりを見せたそうです。現在でもまだ乗っかろうとするのだから大したもの。

さて、いかがでしょう。これだけでもなかなか東京裁判というのが奥の深い複雑なイベントだったことがお分かりいただけたのではないでしょうか。本書ではさらに、「なぜ板垣征四郎が有罪になったのに、石原莞爾は起訴もされていないのか」、「なぜ一番罪がないように見える広田弘毅が死刑になったのか」といった興味深いポイントについて、裁判の流れをわかりやすく再構成しながら解説してくれています。新書としては少し厚いですが、思想中立で実証的な分析のスタンスは信頼感が持てることもおすすめです。