梅田望夫・茂木健一郎『フューチャリスト宣言』

Webの中のアナーキスト梅田望夫茂木健一郎『フューチャリスト宣言』

 本書は、インターネットが人間と社会にどういうインパクト与えるか、そして私たちはその技術にどう関わっていくべきかを素描した大胆な本です。GoogleWikipediaYouTube、ブログなどの技術を礼賛しているので、ぱっと見、「アメリカ万歳、日本はダメダメ」という単純な話に見えますが、どうしてなかなか。mixi に代表される SNS は その閉鎖性のゆえに Web2.0 ではない、と言い切ったり、インターネットが資本主義と提携して発展するという点を見抜いているあたり、二人の見識は確かです。

 インターネットは、その反権威的・自由至上的な性格から、これまでも既存の権威と衝突してきました。特に、Web2.0はその対立を決定的なものにするでしょう。そして二人は、「ネットの側に賭ける」ことを選択する。これはいわば、デジタル・アナーキスト宣言です。

 アナーキストの議論は、いつの時代のものを読んでも爽快で、そして地に足がつかない。二人は、Web が実現する社会は、旧来のモデルでは理解できない、と力説するけど、むしろ懐かしく感じたのは私だけでしょうか? 「仕事は楽しくやるもんだ!」と断言したフーリエやモリス、万人が芸術家になればいいとうそぶいて部屋に引きこもった埴谷雄高(「『ニート』や『引きこもり』と呼ばれる人たちの中に、朝から晩までネットをやっていてすごいプログラムを書いている連中がいる」(p.130)というのは、埴谷の正統な後継者です)。二人はばっちりアナーキスト列伝に連なる。実際、茂木は「大学生の頃、僕はどちらかというとアナーキストだった」(p.140)と証言している。今でも十分そうだと思う。

 でも、二人が勧めるように、一億人がみな好きなことだけ徹底的に追求する社会が到来したら、「誰もやりたがらないけど、誰かがやらねばならないドカタ労働」は、一体誰が引き受けるのか。ゴミ処理に、コムスン問題で賑わう老人介護、単純な生産ライン。実のところ、この社会にあふれる仕事の大半はつまらない労働ばかりです。本書ではそこまで語られていないけど、おそらく自由競争に負けた人、夢を追いきれなかった人が、渋々低賃金でやらされるのでしょう。その場合、そうした「負け組み」を納得させ、不満分子にさせないための倫理が必要になります。今のところ、「それがあなたの能力と適性と意欲が総合的に判断された結果であるため、甘んじて受け入れなさい」という自己責任による「諦めの倫理」が有力だけど、果たして大勢がこれで納得するかどうか。

 また、大学なんかいらない、学びたい人間はネットで自発的に学ぶさ、と本書は言うけれど、誰も自発的に学ぼうとしなかったら? ゆとり教育という実験の結果、どうもその可能性は高そうです。放っておけば興味の赴くままに学問に熱中するのは、結局のところごく少数。著者たちは、自分がその少数派に属しているから、そのことが実感できない。ロングテール・モデルの成功が教えたことは、「人間はみな自分とは違う」ということだったろうに。

 もちろん、二人とも、そうしたアナーキズムの暗面を全く知らないわけではありません。ある程度承知の上で、敢えて楽観論の旗を振る。それは、勇気あることですし、きっとこの本は閉塞感に悩む多くの若者を勇気づけるでしょう。

 でも私は、読んで少し暗くなった。アナーキストには、なれないや。