厚生労働省は太目がお好き?

 BMIといえば誰でも知ってる肥満度の指標です。皆さんも一度は、健康診断で出てくるこの数値を見て、自分が「やせすぎ」とか「太りすぎ」とか、どのカテゴリに入るのか調べたことがあるでしょう。

 私は、まあ男だし、年間通じて体重の変化も無い人間なので、今までこの指数をほとんど気にしたことがありませんでした。学校や会社の健康診断で行われる体重測定でも、常に「やせすぎ」の域を出たことがないので、変わり映えがなくて敢えて意識する気が起きなかった、ということもあります。当然、家には体重計もありません。

 でも最近にわかに、この「適正体重」という概念に興味が湧いてきています。きっかけは、仕事でメタボ健診システム開発を手伝ったことです。正式には「特定健診」という、40歳以上を対象に行われる肥満度チェックの健診ですね。ご存知のように、BMIは身長と体重だけしか見ないので、体脂肪の多寡について正確に把握することができません。特に、内臓脂肪を多く備蓄しておられる「隠れメタボ」諸兄を発見できないことが問題視されています(このメタボという言葉もここ数年でずいぶん有名になったもんだ)。

 そんなわけで、この隠れメタボやメタボ予備軍を見つけようという目的で導入されたのが特定健診。この健診制度自体は全国規模の非常に大掛かりなシステムですが、私が手伝ったのはそのごくごくごく一部の統計関係の機能です。技術支援のヘルプで入っただけなので、細かい点の認識が間違っているかもしれませんが、導入の背景はまあこんな感じでしょう。

 それで、話を戻すと、私は、先述のとおり常に「痩せ過ぎ」に分類されるのですが、でも自分の感覚としては、これで十分「標準」であり、もし私が国の基準における「標準」の体重になったら、外見的にはかなり太っているように見えるのではないか、と思います。だから昔から、国の基準はずいぶん緩いな、と感じていました。BMIにせよ、他の指数にせよ、算出の仕方は万国共通です。でも、それを分類する基準が国によってバラバラです。だから、ある国において「標準」と見なされる人も、別の国では「やせすぎ」や「太りすぎ」に含まれるかもしれません。見方を変えると、「標準」とは、その国が求める「理想の体格」を表している、と言えそうです。その点で言うと、私は日本国が求める「理想の体格」には貧弱すぎる、ということです。

 そして私が見るところ、この乖離は男性よりも女性の場合にもっと顕著であると思います。例えば、身長160cmの「標準体重」をBMIから逆算すると、47.4〜64kg。標準の中でも真ん中のBMI=22のときの体重は、56.32kg。女性の目から見てどうでしょう。64kgというのは論外にしても、56kgでも、太っていると自覚する人は多いのではないでしょうか。

 女性が「美しい」と見なす体型と国が「健康」と見なす体型には、どうも大きな開きがあると言わざるをえません。面白いのは、この国家基準と私たち個人の感覚との乖離は、今に始まったことではなく、100年前から存在していたということです。特に、戦前の日本は、国策として国民、特に女性に太ってほしいとあからさまに望んでいたことを、井上章一『美人の時代』で報告しています(この本は内容の面白さの点でも文章の巧さの点でも傑作)。戦前の国家は、「衛生美人」とか「翼賛美人」という標語のもとに、放っておけば痩せた体を求めたがる女性を何とか太らせようとした努力していました。

いままでの日本人は、体型の細い不健康な女を美人だとしてきた。だが、こんな虚弱な体つきをありがたがっているようだと、日本人の体位は、いつまでたっても向上しない。伝染病などに対する抵抗力もつかない。ひよわな民族になってしまう。
 健康な日本民族をつくりだすためには、旧来の美人観を変更させる必要がある。新しい健康的な美人像を提示して、日本人をその方向へといざわなければならない。その美人像こそが、衛生美人という標語であった。

 なぜ戦前の日本がそれほどまでに女性に太ることを求めたか、その理由ははっきりしています。頑健な体をもった兵士や工場労働者がたくさん欲しかったのです。当時は何しろ「富国強兵」がスローガンの時代。国民に求められた要件は、一に体力、二に体力だったのは無理ありません。義務教育に体育が取り入れられたのだって国民の体力増強のためです(裏を返すと、当時の一般国民の健康状態は非常に劣悪だったのです。平均寿命も短かった)。

 そこで大日本帝国が満を持して考え出した国民の健康増進の打開策が、「太目こそ美しい」という新しい美人観だったのです。

 顔はどうでもいい。体つきさえ健康的であるなら、それを美人と呼ぼう。そういうアピールが、明治前期の日本では、衛生学的な立場からなされていた。・・・・・・戦争遂行のためには、兵力をふやさねばならない。そこで、「産めよ殖やせよ」という標語が浮上する。さらに、戦時の非常時局下には、女にも労働力としてはたらいてもらう必要がある。つまり、戦時の女は、多産系で勤労にたえうる肉体をもたなければならない。

 なるほど、明快な説明です。あの適性体重という概念についてみんなが感じる乖離も、国策という変数を入れることで鮮やかに解きほぐされます。そして、井上さんが指摘するように、国が国民に「太目」を求める時代というのは、端的にいって戦時下です(もっとも、当時でも衛生美人が民衆の間に浸透することはなかったそうですが。民衆もそこまで踊らされるほど馬鹿ではない)。

 太りすぎが問題視されてメタボ健診を国が推進するというのは、言ってみれば、現在が極めて平和である証拠、なのかもしれません。